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阪神淡路大震災から15年
阪神大震災1995.1.17―新聞記事データベース
昨日、阪神淡路大震災の7日間の記録というようなタイトルのドラマを見ました。最初はなぜ今阪神淡路大震災?と思ったのだけど、よく見ると日付が大震災のあった日の前日。そうか、1月17日がくるんだなぁ、と。

今年は震災から15年になるんですね。15年前の私は既に社会人で、でもまだ未成年で仕事にも遊びにも忙しかった頃。前にどこかに書きましたが、神戸で大地震があったことはその日は知らずにすごしました。職場では「大きな地震があったらしい」という話をしていた人はいたけれど、なぜか私は地震には無縁だと思っていたので興味もなく「へー」くらいなものでした。

たぶん地震の翌日だと思うのですが、夜中に一人暮らしをしている家に帰り、何気なくテレビをつけた時「ナニコレ!」と思いました。私の中では日航機墜落事故の時と同じ画面に見えたのです。ブルーバックの画面に死者の名前が並び、アナウンサーが淡々と読み上げています。それを見て初めてものすごいことが起こったのだと思いました。

こんな状態だったので、当時はテレビもまともに見ておらず全く知らないままかなりの時を過ごしました。私が阪神淡路大震災のことをきちんと知ったのは釧路に引っ越してネットをするようになってから。今はネットで当時の報道番組の様子も見ることができます。
これが震災当日の半日後に放送されていた報道番組です。番組の中では生中継もあり、まだ街が燃えている様子が見えます。


携帯の方はコチラ※パケット定額制以外の方は再生しないで下さい

パソコンから見ていて英語の字幕を消したい方は「アノテーション機能をオフにする」と字幕なしで見られます。(音量の隣の隣にある一番端のボタンがアノテーション機能に関するボタンです。)

阪神大震災の画像もgoogle画像検索で見られます。(右側にある青い>をクリックすると次々と写真が現れます)

私は当時全くテレビも新聞も見ていないので、ネットでこうして目にするものと、本などの書籍で後から読んだもの、節目に放送される特番のテレビ番組だけが情報源です。一番上にある画像の本も購入して読みました。新聞記事がまとめられているのですが、リアルタイムで知らない私にはこの震災のことを知る手がかりになりました。

私は地震の多い釧路に住んでから初めて「地震は他人事ではない」と思い、震災に遭ったときにどのような行動をしたらよいか?ということや、実際に大地震が来たときに危険な目に遭わないように極力危ないものはそばに置かないということを意識しました。きっとその当時の私のように、たぶんそんなに大きい地震に遭うことはないだろう、と思っている方も多いのではないでしょうか?

こういう節目に報道される震災の記録は、そういう「私には関係ないな」と思っている人のためにあると個人的には思います。こうして実際に震災に遭った方がどんな風に感じて、どんな生活を送ったのか、また生死を分けたものはなんだったのか、ということを考えるよいキッカケになるからです。

被災者の方にとっては思い出したくない出来事だと思うし、既に15年経って過去のことにしたいのにこうして特集されると嫌でも思い出されてしまう、ということもあると思います。当時の報道もやりすぎ、救出の邪魔にしかならないなどという声も聞いたことがありますが、こうして記録になって私たちのような関係のない人が後から思い出すことで「二度と震災を起こさないようにしよう」というのは無理でも「次に震災があったときにはこの教訓を生かそう」ということができるのではないかと思います。

どうか、地震に関係ないという地域に住んでいる方もこの機会に周りのことを見直してみてください。


この記事のカテゴリ:地震
 
| かりん | 00:23 | comments(20) | trackbacks(0) | |
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ちょうど受験勉強で早起きしてテレビを点けたら
衝撃の事態が画面に映ってました。
とても勉強どころではなく、あまりに現実離れした
光景を映す画面を見続けました…
高校2年生の時?かな奥尻島の地震の時のことも
越境入学していた子が同学年にいたり札幌も結構揺れたので
当時のことは意外と覚えてます。
そのあとダーツの旅が偶然、被災前の奥尻島で亡くなった方々が
映っているのでお蔵入りになる予定でしたが以外にも遺族の方が
放映を望まれたとか…たまたま入院中に見たテレビで涙しました(T_T)
ともあれ亡くなった方々の冥福を祈らずに居られませんでした。

地震の時に安全な場所が意外なんですがガソリンスタンドらしいですね
阪神の大震災の時も倒壊せずに安全性は実証されてるみたいです。
やっぱり危険なモノを扱ってる故でしょうか…

| ケロケロ軍曹 | 2010/01/17 12:47 AM |

私もドラマ、途中までだけど見ました。


15年前、私は学生でした。確かまだ冬休み。
のんべんだらりと朝起きて、居間でついていたテレビを見たら、道路が倒れていました。
その映像だけ、はっきりと覚えています。
神戸には、家族ぐるみで付き合いのある友人が住んでいたので、母はその一家の安否を気にしていました。


私が住んでいる函館は、大きな地震は少なく、私の中で記憶にある大きな揺れは、高3のときにあった南西沖地震までさかのぼります。
正直、テレビで震災の様子を見ても、どこか人事という感じがしてしまいます。実際、災害に備えての準備は何もしていません。
家は地震保険にすら入っていません。
あんな地震があったら、旦那は家よりも仕事に行かねばならないので、行ったまま何日も帰ってこられないでしょう。
子供抱えてどうしよう。


災害用に準備を…
あんな災害が起こると、毎回考えはするのですが、なかなか実行にうつせないでいます。
かりんちゃんは、何か準備はしているのかな?
| TAKE | 2010/01/17 3:07 AM |

震災は経験してないのですが、その年の3月に神戸へ配属になりました。震災の爪痕はまだ残っていて、東京から新幹線で大阪まで行ってそこで一泊。翌日は大阪から電車〜不通区間の代替バス〜電車と二日かけて神戸までようやくたどり着きました。配属先は神戸の端っこでしたが、それでも住むところがなくて同じ会社のおじさんと同居してました。
| muhamado | 2010/01/17 6:10 AM |

釧路での大きな地震を二度とも経験したけど、あの規模でも首都圏であったら大惨事になっていたでしょう。

今は、消防団員として津波注意報が発令され消防車で避難放送をしてもカーテンの隙間から覗くだけの人達。

喉元過ぎれば・・・・が多すぎる。

日本という島に住んでいる限り、安全な場所など基本的には、無いのだが。
| firefighter | 2010/01/17 10:49 AM |

震災が起きるまで、関西では大地震が起きる
とは思われていませんでした。
危機意識と地震に対する関心の低さを
討議する学会だったか研究会が震災の
当日(?)に開催される予定だったという
ニュースがあったのをおぼえています。

私は当時中学生でしたが、震災で失われた
ことの大きさを歳を重ねるごとに
大きくなっています。
震災とその後の過労や心労などで犠牲に
なった全ての方に哀悼の意を表します。
| 元保険屋 | 2010/01/17 1:22 PM |

ダーツの旅が…このときまだやってませんで、
ほかの紀行番組と勘違いしていたと思います。
北、再発見とか北海道中膝栗毛かな…
| ケロケロ軍曹 | 2010/01/17 4:11 PM |

この日は地震の起きる直前に目が覚めたんです
新潟でも震度1の揺れがきました
で、TVを着けたら大変な事に・・・・・
衝撃の映像でしたね



俺の誕生日でもありますorz
| hir○shi | 2010/01/17 5:51 PM |

埋め立て地の団地に住んでます。人ごとじゃないです。大地震来たら生き残れるか、まったく自信ないです。

亡くなったかたのご冥福をお祈りします。合掌。
| gosealhunt | 2010/01/17 5:54 PM |

>ケロケロ軍曹さん
その頃は受験の頃だったんですね。
奥尻の津波の時の地震は私のところもそれなりにゆれました。
その頃は滝川付近に住んでたんだけども。。。
地震の時に安全な場所はガソリンスタンドというのは
その通りですね。危険物なので厳重に作られているようです。
それも崩壊するような地震ならそもそも安全な場所は
もうどこにもないという状態の時でしょうね。
それとテレビ番組のは私も遺族なら放送してほしい、と思うかも。
ダーツの旅でもそうじゃなくてもそのエピソードだけで
大丈夫ですよ^^ありがとです。

>TAKEちゃん
ちょうど昨日はたいしたテレビ番組がなかったような(笑)
それでうちもドラマだったんだけども。
大地震の震源地になった場所に知人とか友人がいたら
気になってしょうがないよね。わかるわ・・・。
そしてテレビで震災の様子を見てもどこか他人事・・・
っていうのも釧路に住む前の私と同じ。
私も自分には関係ないとまでは言い切れなかったけど、
そんなことはまずないだろう、と。
本当なら日本にいる限りどこでも起こりうるんだけどね。
TAKEちゃんちはダンナ様きっと家のことより仕事になっちゃうよね。
自分ひとりより子供がいるともっと大変だよね。
私は災害用準備は非常袋と背の高い家具は全て排除、
(以前まだ背の高い家具があった時は転倒防止対策してました)
そして寝ているベッドの側には常に避難用シューズと
でかいクッションがおいてあります。
一番怖いなと思ったのが寝ている時の大地震。
前に震度6が来たときも朝の5時頃で寝ている状態で
身動きもほとんどとれないままだったので、寝ている側に
とりあえずの非難ができる装備だけは置いてあります。
非常食とかも用意してるけど、非常袋も非常食も生き延びて
家がつぶれなかった場合に必要になるもの、と思ってるので
台所とかに置いてあります。だから家が潰れちゃったら
たぶんもう役に立たないんだけどね(笑)
前回の大地震の時に食器棚が倒れて床一面ガラスバリバリ
になったので、シューズだけは常に用意してるよ〜。
あとは初めて行く場所ではもしここで地震がきたら・・・
って脳内シュミレーションします。
ホテルとかに泊まりに行っても必ず最初に非常口を確認しに
いくという・・・(笑)もちろん指定されている避難所まで歩いて
いってみるということもしてます。
でもこれも実際に大きな地震を経験してからなんだよね。
一度も経験してなかったらここまでしないと私も思う・・・。

>muhamadoさん
震災から2ヶ月経ってもやっぱりそんなにひどい状態だったんですね。
東京から2日かけなければ着かないなんて・・・。
住むところがなく、っていうのもまた・・・。
大変な時に配属になりましたね。
でもその時に目にしたものはきっとmuhamadoさんの中で
無駄になっていない気がします。

>firefighterさん
私もそう思います。釧路では地震対策が本当に進んでると
何度もビックリしたことがありました。
そして私も防災意識が高まったのですが・・・。
ただ、津波注意報に関しては私もfirefighterさんのいう
カーテンの隙間から覗くだけの人だったかも。
避難した方がいいのかどうかがよくわからず、
近所の人に聞きに行ったりしてました。
あの場合どこまでが避難する人なのかいまいちよく
わかりませんでしたが、実際に津波が来たときに
被害に遭いたくなければ周りの人がどうしてようが
避難するのが正解ですよね。。。

>元保険屋さん
関西では大きな地震は起きない。
って思われていたのは私もその後のニュースで知りました。
最近の福岡での地震とかでもまさかここで地震が起こるなんて。
といってる方が多く、本当にどこにいても何がいつ起こるか
なんてわからないよな・・・と思います。

>ひろしさん
誕生日おめでとうございます!
自分の誕生日に大きな出来事があるとちょっとなんか
なんかかもしれないけど、365日誰かかれかは誕生日なわけで。
新潟も揺れたんですね。
たぶん私も朝からテレビを見てたら
かなりビックリしてたと思います。

>gosealhuntさん
埋立地だから絶対危険、ということはないけど
もしも揺れが大きい場合はどこにいても危険ですよね。
地震が来たときに生き残れるかどうかはその時の
行動によるものも大きいようなので、
ネットなんかでもいろいろ調べて事前に知識を持っていると
ちょっとは違うかもしれません。
| かりん | 2010/01/17 7:30 PM |

 あの日は風邪こじらして会社サボって、朝TVつけたら高速道路が倒れてた・・・・・・
 無言でTV見てる父に「何これ、いつ?どこの映像?」なんてマヌケな質問したら、「・・・今朝の神戸だ」って難しい顔で。
 そん時は災害の大きさもさる事ながら、政府の無策ぶりが非常に腹立たしかったッス。社会党が...ってか「自社さ連立政権」だったけど、あの村山ボケ老人に山花が離党届を提出するパフォーマンスなんぞ暢気にやって見せてる間に多くの被災者が...思い出したらハラ立って来た(怒)
 でもって、その後の言い訳が「何分にも初めてのコトですので」...アホ!!無責任野党の党首なんぞ延々やっとるから首相らしい対応ができんのじゃボケが!....失礼しますた(汗)
 ほかにも貝原兵庫県知事から自衛隊への出動要請が遅れたとか、当時の国・地方自治体問わず危機管理能力の無さが露呈して情けないこと夥しい状況どした。佐々淳行が怒ってた。
 「危機管理」ってコトバ聞くと、あん時の政府や自治体や省庁の対応を思い出すんどす。

 ....ご存知でした?あん時、あまりの死者数ゆえ
 霊 柩 車 が 足 り な く な っ た
んですと。日本各地から葬儀社有志が霊柩車を出して何とか凌いだとか。でも伝染病(エイズとか肝炎とか)の危険もある中(遺体の病歴なんてわかんないし)、大した勇気だな〜...それ以降、遺体の処置方法とか結構進歩したとか。
| はしばみ2 | 2010/01/17 8:12 PM |

あの時のことは今でも覚えています。朝起きたら、確かテレビでは既にヘリコプターからの中継をしてて、母が「関西で大きな地震があったみたい」と青い顔をして教えてくれました。
釧路で2度(釧路沖と東方沖)の地震を経験したばかりだったので、本当に他人事ではなかったですね。しょっちゅう地震のある釧路にいても怖いのに、(当時)ほとんど地震のない地方でそんな大きな地震にあって、どんなに怖かっただろう…って。

もう1つ覚えているのが、地震の当日だったかどうかは忘れましたが、木造の古い家が建ち並ぶ界隈でテレビ局が中継をしてました。
多くの人が呆然と家の前で毛布にくるまって、しかもそこで火を炊いて暖を取ってました。「寒いのはわかるけど、そんなことして火事になったらどうするの?」と、テレビに向かってつぶやきました。
結局あの大火災。正直釧路の人はそんなことしないだろうと思います。

釧路沖以来、地震が苦手になって震度1でもビビッてますが、慣れてるということはラッキーなのかもしれないとも思います。
| Sophie | 2010/01/17 9:35 PM |

>はしばみ2さん
風邪ひいてるんだからサボってはないと思うw
でもあの光景を何の説明もなしにみたら、
戦争映画か外国の光景か?と思ってしまうかも。
私は当時のことをリアルタイムで何も知らないのだけど、
後から当時の新聞を読んだりするとたしかに政府の対応の
遅さが目立つよね。日航機の時も政府の対応にイラッとしたけど
この時も何も変わってないな〜と。
霊柩車に関しては知らなかったけど、何千人単位の死者が
一気に出たのだからそれも仕方ないのかも。
でも感染の危険もある中で助けを出した有志には尊敬の意ですね。
あまり死ぬことは考えたくないけど、次にどこかで
大震災が起こった時は似たような状況になる可能性は高いから
それが教訓になって技術が進歩したなら無駄ではなかったのかも。

>Sophieさん
釧路のあの連続地震を体験した後なら
他人事なんて思えないですよね。
私は当時地震は無関係と思っていた一人だけど、
釧路のあの地震に関しては同じ北海道ということで
テレビでもよく見ていたし、釧路=地震というイメージは
阪神大震災の時に既にあったくらいです。
(だから両親が転勤で釧路に住むということになったとき、
もしかしたらもう会えないかもしれないなんて思いました^^;)
でもいくら冬でも住宅街で火を炊いて暖をとるってだめですよね。
ガス漏れでもしてたら一気に引火してしまうし、
そうじゃなくても燃え移ったら・・・。
私も釧路に住んで以降は地震に対してものすごく敏感に
なったし、防災意識もかなり高まりました。
地震慣れしてしまって地震が来てもたいしたことない、
なんてなるとだめだけど、ある程度防災意識が高い地域だと
二次被害や三次被害が防げる効果もあるのでいいのかもと思います。
| かりん | 2010/01/17 10:07 PM |

今日という日が穏やかに終わりそうです^^ 朝起きた時も信じられないぐらい穏やかやったしね。あの阪神高速の上の真っ赤に燃える炎、まるで終戦直後かのように熱波でぐにゃりと曲がってしまった街頭…、電気が復旧して灯りが戻った時の感動… ガスと水道はうちのところは2ヶ月来ませんでした。大学生のボランティア、海上自衛隊の給水支援、本当にありがたかったです。

いろんなことを思い出します。揺れが恐ろしくて頭まで布団をかぶったあの震災を忘れることは死ぬまでないような気がします。

| ゆにっく | 2010/01/17 10:32 PM |

私は当時、大学生で朝、ニュースで見て大変だなってことはわかっていたのですが・・・お昼に食堂でニュースを見たときに唖然としました。
町が燃えていて、あらゆるものが倒れていて・・・

友人がボランティアにいったり、関西の先輩が何度も親に電話をかけてもつながらなかったり・・・それは大変だなと思いましたが一体自分に何ができるんだろうと。

そのあと、夜だったとおもうのですが、ラジオで福山さんと泉谷さんがオールナイトニッポンで呼びかけていたことは
・足りないのは簡易トイレ、生理用品、子供のオムツ、寒いので、モーフやカイロ

と呼びかけていました。
たしかに生理用品がないと大変だろうなっと思い、自分のおこづかいで買える分かって、指示されていたところに送った記憶があります。

この震災で人生が変わってしまった友人もしていますが、いろんなことに負けずに今、頑張っていますが
やはりこの時期になるといろんなことを思い出して、つらいと話をしていました。

私が経験した大きな地震は南西沖地震ですが、実際、揺れと共に停電、あわてる親や愛犬を抱きしめて、外にださせないようにするのに必死でした。

後から、色んな本や実際震災を経験していた人のブログを読むと、とにかく下水道関係が大変だったようですね。
なので
・お風呂の水をためておくように
とか
・すぐにあわてて外にでないように
・外にでるなら、ゴムの長靴を

など色々かかれていて、お風呂のお水はためているようにしているんですけどね。
食料品とか水とかガスコンロとか用意しないきゃと思いつつ・・・

地球に住んでいる以上、どこで地震がおこるかわからないですよね。
今は事前に調べる方法があるので、準備はしないきゃな・・・
| チャコ | 2010/01/17 11:04 PM |

>ゆにっくさん
ゆにっくさんも被災者なのね。
そういう記憶って一生残るだろうな、と思います。
私はそこまでの震災に遭った事がないけど、
それでも忘れないくらいだし・・・。
もっとひどかったこの震災を体験した方なら
きっとずっと残るものだろうなと思います。
今日を穏やかにすごせてよかったです。

>チャコちゃん
当時の年齢でそこまでできるってスゴイ。
きっと周りに震災に遭った方と繋がりがある方がいたりして
他人事という感じではなかったのかもしれないですね。
いや、そうじゃなくても他人事と感じないのが
チャコちゃんなのかも。私とは違ってすごいわ!
ライフラインがたたれた時に一番大変なのは水ってそうかも。
と思います。お風呂に水でもためていればトイレも
お風呂の水を使って流せるし、多少は快適ですよね。
うちもお風呂の水と飲み水は用意してあるけど、
果たしてこれでいいものか?と思ってみたり。
いろいろ用意しても家が潰れてしまったら
どうにもならないけれど、半壊程度で長期間
ライフラインがないことを考えると、
やっぱり準備するにこしたことはないなと思います。
ほんとすごい揺れの中では何もできないのが普通ですよね。
私も大きな地震がきたら何もできずにオロオロしてます。
| かりん | 2010/01/17 11:22 PM |

大地震が起きた15年前ですが、個人的に、このころからの出来事は、つい先日というか最近のことのように感じてしまいます。
その少し前の、奥尻の地震とか、湾岸戦争などは、はるか遠い過去のように感じてしまうのに…
きっと、私が一人暮らしを始めたり、就職のことを意識しだしたりして、ニュースや事件について、自分なりに考えたり、日々の生活の視点から見るようになったからかもしれません。

この地震の2か月後の3月下旬ころ、電車で移動する機会があり、神戸の一部は鉄道不通のためバスや徒歩で移動したことがあります。
そのとき見た景色で、一番ショックな記憶に残っているのは、駄菓子屋ぐらいの小さな個人商店の建物が、入口に「1月19日は臨時休業します」という紙が貼られたまま半壊していたことです。
きっと、地震発生からそのままの状態になっていたのだと思い、「時が止まった」というような、とても怖い感じがしました。
| かわの湯 | 2010/01/21 12:10 AM |

私は阪神淡路大震災の時、まさに淡路島で生活していました。
自分の家は無事で、周囲の情報もかなり時間が経ってからしか入って来なかったので、いったい何が起こっているのか、かなりの時間がたってからしか分かりませんでした。
本当に大変だった事を知って、自分ももしかしたら死んでいたかも知れないのだ、と痛感しました。生きていて、本当に良かった。
そして、あの震災の教訓が生かされて、今では、各地で地震が起きても、対策も早かったり、住民の準備もされていたりして、役に立っているのだな、と感じます。
あの頃は、変な業者がたくさん出入りして、まるで、「助けに来ましたよ」的な感じで、法外な値段で家の修理を請け負ったりしていましたね。そんな事情も分からないまま、契約してしまった人も多くいたと思います。こんな世の中、なんなの?!と思った覚えがありました。
そして、そんな中でも、人の役に立ちたい、とたくさんの人たちがお互いを支えあっていました。人の良い面も悪い面も、本当に大変な時に分かるのだな、そして、人さまの親切にも心から感謝したものです。
もう15年も経ってしまいましたが、あの頃、焼け野原で何もなくなった神戸を見て、愕然とした時の事を今でも思い出します。
学校は、神戸のほうでしたので、通学の時にはやはり見る機会がありました。
話すと長くなりそうなので、このへんにします。
| ままさん | 2010/01/21 12:21 AM |

>かわの湯さん
それはこの間どこかの記事のコメントで書いてたことに
繋がりますね。きっと既にその頃大人だったからでは?
一応私も社会人だったけど、この頃はまだまだ子供だったので・・・。
既に就職していてもニュースに関心すらなかったし、
本当になんて幼かったんだろうかと思います。
その駄菓子屋さんは地震発生からそのままの状態に
きっとなってたんでしょうね。
それだけ他のことに皆手一杯だったのかと思うと、
やはり大変なことが起こったんだなと思います。
そういうのが一番怖いかも・・・。

>ままさん
ままさんも被災したんですね。
無事でなによりでしたが、被害に遭われた方自身も
情報はすぐに入ってこなかったんですね。
たぶんその時の教訓から現在は情報が入らないなんてことは
ないと思うけれど、それでも電気がなければテレビは
見れないし、ラジオも電池を用意してなければ聞けないし
日ごろからの準備が大切ですね。
だけど・・・被災地でもそんな商売する人が。
なんでもできることはする、みたいな精神がちょっと
信じられないけれど、世の中はそんなものなのかもですね。
阪神大震災の体験談を読むと、人の親切に感動した、
近所の人の大切さを知った、という声が多くありますが
そんな中でもよくない人もいるんだなと思いました。
嫌なことを思い出させてしまってすみません。
そして体験談を書いてくれてありがとうございました。
| かりん | 2010/01/21 12:56 AM |

>かりんさん
いえいえ、嫌な思い出ではありませんよ。
自分自身とてもいい経験をしたと思っています。
亡くなった方の遺族にとっては、忘れたい経験だと思いますが。
あの出来事が、今も日本中で生かされているのを、
たびたび耳にします。
いろいろな商品が開発されたり、
緊急時の対応が迅速になったり、
個人個人の意識も高まったと思います。
こうして、話しができるたびに役に立てれば、と思っています。
淡路島にいた、と言うと必ず震災の話しになるからです。
ここで、お話しできた事をうれしく思います。
かりんさんのHPは、とってもおもしろいし、
役に立つ情報がたくさんありますね♪
これからも楽しみにしています♪
| ままさん | 2010/01/24 10:48 PM |

>ままさん
前向きに考えられるままさん素敵です。
震災に遭って、体は無傷だとしても家が壊れたり、
物が壊れたり、何より地震は体験としては非常に恐ろしいものなので
そういう精神面でのダメージもあったはずなのに。
私なんて家が壊れるほどの地震は体験したことないのに、
物が倒れるくらいの地震で地震恐怖症になりました・・・。
そういうことを考えるといくら時間が経ったからとはいっても
そうやって前向きに考えて、そのときの体験をトラウマとしてではなく
他の人に伝えるためにこういう公の場所でもかけるってすばらしいです。

また気が向いたらいつでもどうぞ〜♪
コメント必須ブログではないので、気軽に読み流してください^^
| かりん | 2010/01/24 11:02 PM |

レスできません。コメレスなしで
OKな方だけコメントどうぞ。
(2014/7/22〜)









   
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