t: y:
今読んでる人は

踏み逃げ、読み逃げ、ロム専、無断リンク大歓迎


今までの記事一覧
タイトル一覧がランキング形式で

<< 企業名を掲げてるブログを書くということmainパソコン上でもニュース速報 >>
30年間終戦を知らなかった小野田さん
たった一人の30年戦争
小野田少尉(小野田寛郎)という方を知っているでしょうか?数年前にテレビドラマで再現されていたのでそれで見た方もいるかもしれませんが、小野田さんが帰国したのが1974年、今からちょうど35年前のことなので知らない世代の人も沢山いるかもしれません。

小野田さんというのは終戦したことを知らずに戦後約30年間に渡って戦闘を続けていた人物です。終戦は1945年(昭和20年)。当時小野田さんはフィリピンに派遣されていました。そして終戦後も戦争が終わったことを知らずに1974年(昭和49年)までずっとフィリピンで戦争をしていた人なのです。

1974年というと私が生まれる1年前。当時は百恵ちゃんが大人気で私がよく思いを馳せている軍艦島が無人島になった年で、宇宙船艦ヤマトが放送開始になり、巨人長嶋茂雄選手が引退し、ヒデキカンゲキ!が流行っていた年。そう考えると結構前ではあるけど、既に戦後という感じでもなくなっている時代です。

そんな時代に終戦を知らず異国の山の中でひっそりと暮らしていただけではなく、実際に攻撃をしかけたり戦闘していた日本人がいたという事実だけでも驚きの事実。私がこの話を知ったのはたぶん小学生くらいの頃ですが、詳しく知ったのはつい去年あたりネットでです。とりあえず小野田さんが30年ぶりに日本に帰国したときの映像を見つけたので興味のある方はどうぞ。

携帯の方はコチラ※パケット定額制以外の方は再生しないで下さい

上記20秒あたりから小野田さんの当時の映像に切り替わります。

私は小野田さんの情報をネット上でいろいろと調べて知識を得ました。検索すればいろいろ出てきますが一番まとめられているのはwikipediaの小野田寛郎さんのページだと思われます。以下そのページからの情報を元にいろいろと考えてみました。

上の動画の映像は小野田さん50歳頃のこと。50歳にしてはずいぶん若く見えます。これはやはり平和ではない(と思い込んでいる)という意識から常に気を張り、戦闘のために訓練した結果なのでしょうか。

また、小野田さんが30年という時間を越えて日本に帰国できたのは、小野田さんの上司にあたる人の言葉もかなり影響していそうです。上司の言葉は「絶対に玉砕するな」というもの。つまり自決はダメということですね。(もしかすると自決するなではなく、勝って帰って来いという意味かもしれませんが・・・)実際の戦争は体験したことがありませんが、戦争映画などでは敵に捕まるくらいなら・・・というのが多いので珍しい気がしました。単に敵に捕まる機会がなかったから自決する選択肢を選ばなくてもよかったということもあるのかもですが。

部下が当初3名いたようで最初の数年は4名で活動しています。途中1人が逃亡して帰国しました。この逃亡した人もきっと終戦を知らないので死ぬ覚悟だったのでしょう。とても勇気のいる行動だったと思われます。そして10年目付近で1人が戦死。その後残った部下1人と二人きりでなんと1972年まで頑張ります。上の方にも書きましたが小野田さんがすごいのはただ隠れていただけではなく、実際に戦闘をしているところです。攻撃をしかけてたった2-3人の部隊で30年間の間に何十人もの人を殺傷しています。

小野田さんグループにしてみると戦争だから当たり前の行為ですが、攻撃される方にとっては山の中にいるゲリラグループのようなものですよね。なぜ地元警察が総力をあげて捕まえないのかと疑問に思っていましたが、よく考えてみると小野田さんたちは敵に捕まらないように戦闘の時以外は山の中で潜んでいたのでしょうから当たり前のことかもしれません。

困り果てたフィリピンもとうとう日本の捜索隊を受け入れるということを1970年頃はじめたようですが、捜索しても見つからなかったようです。これに関してはwikiに小野田さんの後日談エピソードが掲載されており、捜索隊が来ていたのも自分の兄弟が探しているのも知っていて、捜索隊がわざとおいていった雑誌や新聞などを読んだとのこと。それでも小野田さんは「これは敵が騙そうとしているに違いない」と思っていたというのだからみつかる訳がありません。

どうしてそこまで疑心暗鬼に?と最初は思いましたが、読んでいるうちに納得しました。小野田さんは軍隊学校で教えられた教訓を常に頭に持っていたようで、それ以外は真実と認められなかったようです。軍隊学校でどのような教育をしていたのかは私にはわかりませんが、これでひとつはっきりしたことは今の日本人がなんの教育もされずに小野田さんと同じ状況になったとしたら、絶対に小野田さんのようにはならないということ。

私でもそうだけど、仮に戦争にかり出されたとして、自分が危険な状況になったら終戦してるとかしてないに関わらずすぐ投降しそうです。たぶんwikiにもどこにも書いてないけど、小野田さんが小さい頃から受けていた教育にも繋がるような気がしているので、今の若者に小野田さんと同じ軍隊学校の教えをしたとしても小野田さんと同じような人は育たない気がします。

ただ小野田さんが派遣される頃にはもう日本が敗戦するのは上の人は知っていたようで、小野田さんチームは日本が占領される前提で派遣されたようです。これも運命のいたずらというかなんというか、その前提があっての作戦だからこそ上官が迎えに来るまで帰れないという事態になってしまったのかもしれませんね。実際小野田さんは終戦自体は知っていたような話し振りのところも多々みられます。でも日本が占領された後(敗戦後)の作戦まであったので戦闘を続けることを選んだのでしょうね。

つまり小野田さんは終戦を誰かに伝えられた訳ではないけれど、知っていたのではないかと思います。ただ「終戦は知っていた」ということになると、終戦後の小野田さんのテロ行為とも言える戦闘行動全てが罪になってしまうので「終戦は知らなかった」で一貫させている気もしないでもなく。

それにしても30年は長すぎです。小野田さんの20代〜40代まで丸々全て野生の山の中で暮らしていたことになり、もしこれが自分だったら?と考えるだけで気が遠くなります。30年間ずっと同じようなものを食べ続け、いつ敵に襲われるかわからないという日々はどれだけ長かったのでしょうか。今現在も小野田さんは元気に生きています。それを聞くとちょっとホッとします。

私は2005年に制作された実録・小野田少尉 遅すぎた帰還というドラマは見逃していたのですが、見たいな〜と思っていました。今記事を書くにあたって調べたところ、今月4日にCSで初放送してたんですね。全然知らずに見逃してしまいました。ショック。また放送してくれるといいのだけど。

また、小野田さんが今のところ最後に帰国した残留兵といわれていますが、他にも沢山の方が小野田さんと同じように戦地に残っていたようです。小野田さんのちょっと前にも横井庄一さんという方が帰国されているので、キニナル方は横井さんのページも読んでみるといいと思います。

だけど・・・今と時代は違うとはいえ昔の命を大切にしない教育方針はやはり納得できません。生きて帰ってくること=恥ずかしいというのがなんとも・・・。そう思い込むように教育されてしまったのだからそう思っている人たちに全く罪はありませんが、なんだか悲しいなと思います。そんな日が二度ときませんように。

■関連記事■
30年間終戦を知らなかった小野田さん
戦争に行った人の気持ち〜硫黄島戦争体験記を読んで
戦争が怖い子供


この記事のカテゴリ:時事・ニュース
 
| かりん | 00:44 | comments(13) | trackbacks(0) | |
Related Posts with Thumbnails
スポンサードリンク
よくは 調べてないですが、小野田さんにかかわる中野学校を調べては どうですか?
こんなこと言って スイマセン。
結論発言として、スパイ学校教育を受けたから 生き延びた?とも うけとめられます。たしか 映画も あったと 思います。
| 愛知県の田中 | 2009/08/10 2:50 AM |

おはよう かりんさん。
終戦記念日も近いし、何か朝から考えさせられるネタだねぇーー
お国の為に死ぬ事をいさぎよしとする軍国主義は
絶対復活させたらだめだよね。復活させたら、今度は日本と言う
国自体が存在できない位まで、叩きのめされると思うわぁーー

今週のププレミアムステージは「硫黄島からの手紙」を放送する
予定だから見ると色々考えさせられるよ。

僕は映画館で見て、色々考えさせられたけどねwww
| 温泉爆走族 | 2009/08/10 5:31 AM |

>愛知県の田中さん
助言ありがとうございます。
個人的にはあまりそういう結末なら知りたくない気が・・・。
いつか気になったら調べてみます。

>温泉さん
相変わらず朝早いねw
このネタは去年の暮れに書いたんだけど、
なんだかうまくまとまらずでずっとお蔵入りしてました。
軍国主義は絶対ダメと私も思う。
今週は硫黄島からの手紙かぁ。。。
気になりつつもまだ一度も見てないんだよね。
せっかく地上波でやるから見てみます!
| かりん | 2009/08/10 6:08 AM |

横井さん、小野田さん・・・
懐かしい話ですね(^^;
| hir○shi | 2009/08/10 6:40 AM |

パッと「恥ずかしながら…」のセリフが浮かびましたが
それは横井さんでしたね。
彼は結局日本には馴染めなかったですもんね。
と、思ったら移住したのは小野田さんだったんですね。
ごっちゃに記憶してました。
それこそ「恥ずかしい事」ですね。

戦争はやはりとても悲しい事ですね。
でも当時はそういう教育が絶対的だったとはいえ、
今の日本人でそれだけ国に忠誠を誓える人はいるのかなぁ。
| ぽるて | 2009/08/10 8:14 AM |

生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ。
(戦陣訓「本訓・其の二」「第八・名を惜しむ」より)

真珠湾攻撃の際には2人乗の特殊潜航艇5隻が出撃、10名全員が名誉の戦死を遂げた...筈が酒巻少尉ひとり艇の故障で生き延び、捕虜となったため海軍からは「9軍神」と発表された、なんて故事もあります。そういう時代だったんですのう。

...夫れ戦陣は、大命に基き、皇軍の神髄を発揮し、攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち、遍く皇道を宣布し、敵をして仰いで御稜威の尊厳を感銘せしむる処なり。されば戦陣に臨む者は、深く皇国の使命を体し、堅く皇軍の道義を持し、皇国の威徳を四海に宣揚せんことを期せざるべからず。

其の意気や善し。しかし俺様的には戦陣訓なんてカスだと思ってます。まぁ東条英機が嫌いってのもありますが(爆)
| はしばみ2 | 2009/08/10 10:04 AM |

自分の店には、毎年パラオ共和国のぺリリュー島戦の遺族の方が慰霊祭の御注文をして下さいます。

お話を伺うと、小野田さんや横井さんが生きて日本に帰れたのは奇跡に近いことが分かります。
勿論、ぺリリュー島の方は玉砕覚悟だったので、グアムやルバング島とはいささか違うでしょう。

が、日本兵が隠れたであろう洞窟の中では死と隣り合せだったそうです。
死臭、糞尿の強烈な臭い、高温多湿の中で、戦友が死んでいくのを目の当たりにして、なおも一人で30年も戦ってきた…普通なら半狂乱です。

「生きて虜囚の辱を受けず」…そう教育されて生きてきたのだから玉砕もやむなし、そう思うようになってしまっているのは、本当に悲しいね。そんな日が二度と来ないように…。

| たなくら | 2009/08/10 5:23 PM |

>ひろしさん
随分前の話ですもんねw
なんかすごいロマンを感じてしまう私は変なんだろうか。。。

>ぽるてさん
私もごっちゃになります。
恥ずかしながら・・・が小野田さんと思ってました。
記事書いた時にも読んだはずなのに、
いつも小野田さんと横井さんはセットにして
読んでしまうので余計にごっちゃになります。
今の日本でここまでの忠誠心を持つ人は
誰もいないでしょうね。
たぶん当時と同じ教育を小さい頃からしていて
世間の風潮もそのようなものならまた同じような人が
できる可能性はありますが、そんなことはもうないでしょうね。

>はしばみ2さん
私もこの頃の日本の教育はおかしいと思う。
そして時代は違うけど当時はきっと
今の変な隣国みたいな感じだったんだろうな〜と。
昔の戦時中なんかのニュース映像を見ると
語調というか話し方というか、ものすごくそっくり。
ただ今の日本の平和さは幸せが何か?っていうのが
見えにくいっていうのはあると思う。
生きるか死ぬかだったら気にならなかったいろいろなことが
きっと今は平和で命の心配をしなくていい分だけ
余計なところに気がまわるのかなと。。。

>たなくらさん
そうでしょうね。私はあまりよく知らない面もあるけど、
戦争体験記は戦争体験者が多い分、沢山あってよく読みます。
本だったりネットだったりいろいろだけれど。
特に海外に派遣されていた人たちは戦争から生きて帰る
だけでもすごいと思われるようなものが多いですよね。
たなくらさんが書いてるように派遣される先にもよる
のだと思いますが、地獄絵図の中にいても何も感じなくなった。
なんていう描写のものもよく見ます。
そうならないときっと正気が保てないんでしょうね。
私の祖父も戦争体験者でやはり海外に派遣されていたのですが、
亡くなるまでほとんど戦争のことは語らないままでした。
過去に聞いてみたことはあるのですが、うまくにごされて終わりでした。
ただ悲しいことに晩年は痴呆症気味になり、
記憶が途切れ途切れになるようになりました。
私はもう既に離れた所に住んでいたのであまり回数は
会っていないのですが、一度だけ戦地の話をしだしたことがあります。
その時にはバナナの話をしていました。
祖父が派遣された先にはバナナが沢山なっていたようで、
生き延びるためにバナナをもいで食べたと。
バナナというとやはりフィリピン方面だったのかなぁ?
とかいろいろ思いますが、真相はわかりません。
その時もいろいろ質問しましたが、途中から涙目で
もう話したくない!といわれたので詳しく聞いてません。
やはりものすごくつらい思いを持っていたのだと思います。
あ、なんかつい思い出して長々と書いてしまいました。
| かりん | 2009/08/10 9:34 PM |

戦争はまだまだ続いています。

原爆症で辛い思いをしている人々もその一端です。
今日新聞で知りましたが、かりんさんの大好きな福山君。
被爆者2世だそうでビックリしました。
| pira | 2009/08/10 10:02 PM |

戦争は絶対やるべきじゃないけど、なんせすぐ近くに核とミサイル
大好きの国があるからなあ。
既に200基以上のミサイルが日本に向けて配備されていて、
年内には核弾頭の搭載もできるところまできているという説もあるし。
今まではアメリカの傘もあったけど、オバマさんになってからはアメリカは
中国とお近づきになろうとし、その中国は近々空母が完成すれば、
日本と中東などを結ぶシーレーンが中国に押さえられて、
日本は中国のいいなりにならざるを得なくなるかもしれないし。
せめて日本を攻撃をする動きがあったらすぐに相手基地を先制攻撃できる
くらいの装備でもって、開戦になるのを抑止するぐらいの準備は
必要なのでは。

あと、横井さんが日本に帰ってきたときの第一声は、実は
「恥ずかしながら・・・」じゃなかったような(前になんかの番組の
VTRで見た気が)。私もずーーっと「恥ずかしながら」と思ってましたけど。
それと、関係ないけど、フィンガーファイブの恋のダイヤル6700の
曲名あてクイズを当時ラジオでやっていて(生放送)、それに参加した
女の人が間違って、恋のダイヤル6900(シックスナインオーオー)
と言ってしまったのを思い出してしまった(自爆)
| さとうとしお | 2009/08/10 10:10 PM |

>piraさん
たしかにそうですね。
戦争の爪あとは大きいですね。
こんなに何十年も経ってもまだ残ってますね。
福山くんのことは私も今日
ニュースで知ってビックリでした。

>さとうとしおさん
そのあたりすごく難しいですよね。
考え方はいろいろあるみたいでこちらが無防備な方が
攻撃の意思がないということでいいとか、
さとうさんの書いてるように戦争を仕掛けることはなくても
自衛できるくらいはないとダメだとか、
どっちがいいのかわかりませんが
全部の国で核を持たないという状態にでもならなければ
人類滅亡の危機はなくならないと思います。

横井さんは恥ずかしいですけれども、帰ってまいりました
が本当の第一声とwikiの横井さんのページに書いていました。
フィンガーファイブの曲名については・・・ですねw
| かりん | 2009/08/11 12:33 AM |

小野田さんはなんとなく・・・って感じで
ほとんど知りませんでした。

以前グアム旅行で横井さんが隠れて生活していた洞穴にいったことがありますが、ほんとよくこんなところで長い間生活していたなんて信じられませんでした。
| マイキー | 2010/02/28 12:23 AM |

>マイキーさん
小野田さんはなんとなくでしたか。
でも横井さんの生活していた洞窟を見てきたんですね。
個人的に興味があるので見てみたいです。
そこで数十年単位で生活してたというんだからすごいですね・・・。
| かりん | 2010/02/28 12:29 AM |

レスできません。コメレスなしで
OKな方だけコメントどうぞ。
(2014/7/22〜)









   
コメント本文にURLは入力できない設定になっています。
※ブログやHPをお持ちの方はURL欄に入力して下さい。
コメントの投稿がうまくできない方はコチラ
 
http://love.mania.daa.jp/?eid=960589
TB大歓迎ですが、関連性のない記事及びTBを返せないブログ様のTBはご遠慮ください。
TB送信元にこちらのURLがない記事からのTBは現在受け付けておりません┏○ペコリ
http://love.mania.daa.jp/trackback/960589


ブログ内検索
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728    
<< February 2017 >>

ケータイ用QRコード
一番右上のカレンダーの日付部分またはカテゴリーからもこれ以前の記事に移動デキマス。
今までの記事一覧では、タイトル一覧がランキング形式で見られます





with Ajax Amazon