t: y:
今読んでる人は

踏み逃げ、読み逃げ、ロム専、無断リンク大歓迎


今までの記事一覧
タイトル一覧がランキング形式で

<< 実録:荒らしに遭うmainハッピーバスデイ〜いつでもエステ気分 >>
JAL123便日航ジャンボ機墜落事故
20年前の8月12日にあった、日航ジャンボ機墜落事故を知っていますか?

私は当時小学3年生。夏休みにあった事故でものすごい記憶に残っているのだけど、若い人だと知らない人も多いらしい。その時はテレビでも新聞でも連日このことが取り上げられていた。新聞は当時はあまり読まなかったけれど、テレビのワイドショーかニュースでみた映像はとても衝撃的で、もう一生飛行機に乗らないかも、と思っていたりした。

今度の金曜日は8月12日だけれど、この日にTBSで特別番組もやるらしいので、知らない人はぜひ見て知ってほしいと思う。こんな事故があったのに、最近はまた大事にはならないまでもミスが連発していて、またいつこれと同じことが起こるかと心配でたまらない。

茜雲―総集編
茜雲―総集編 8・12連絡会
実は先週アマゾンで買ったこの本が到着した。

8.12連絡会というのはこの事故で亡くなった方の遺族の方々が作った会で、急に事故で逝ってしまったショックから立ち直るため、そして横の繋がりを作るためという目的で作られた会らしい。
以前おすたかれくいえむという同じ会が発行している会報をまとめた本を読んだことがあった。その本は墜落からちょうど一年後に発行したもので、亡くなった夫や妻や子供や恋人に宛てた手紙が掲載されていたり、事故の後に感じたことなどが遺族によって綴られている。大人になってもやっぱりものすごい衝撃だった。東京への日帰り出張だったサラリーマンが多数いたらしく、朝元気に出かけていったのに帰ってきたのは"ちぎれた腕"だけでした、なんてことが現実だなんて。(この「おすたかれくいえむ」はほぼ丸々上に紹介した茜雲に掲載されているので無理に求めないことをお勧めします)

ほんとのところは大人になるまでこの事件のことはほとんど忘れていた。

8月になってニュースで御巣鷹山の慰霊碑に・・・なんてニュースを見ると「あぁ、そういえばそんなこともあったよな」くらいは思っていたけれど、その当時どうだったのか?とかそんなことまで深く考えたことがなかったといった方が正しいかもしれない。何のきっかけで思い出したかというと、JAL123便のボイスレコーダーがネット公開されたことに始まる。そのサイトでボイスレコーダーを聞いた時に小学生の頃のような衝撃が走った。更にその後、そのボイスレコーダーを元にFLASHを作った人が現れた。これを見て、聞いた時ものすごく胸が苦しくなって、こんな事故もう二度とおきたらイヤだ、という気持ちからいろんな本を読み漁った。当時はわからなかったことを理解したくて。

そのFLASHが公開されているサイトはこちら↓ですが、興味本位ではいかない方がいいかも。FLASHはイラストと飛行機が辿った軌跡だけが動くイラストですが、音は本物のボイスレコーダーです。とてもリアルなのでそういうのがイヤな人はいかないようにしてください
そして、ここのサイトでは当時の新聞記事と雑誌が見れるのですが、(※現在は公開中止になりました。どうしても見たい方は記事の下のリンクをどうぞ)雑誌は衝撃的なのでお勧めしません。(当時本当に発行されていたものですがトラウマになるかも・・・※衝撃的な写真の内容については、記事の一番下を読んで下さい)新聞は普通に配られていた新聞をスキャナしたものなので大丈夫と思いますが。

日航機墜落までの軌跡
※ジャンプしたページにリンクがあります。
※FLASHがリンク切れの場合はコメント欄から教えてください。

今までに私が読んだ本
本墜落遺体―御巣鷹山の日航機123便飯塚 訓
元警察の方。墜落現場から運ばれてきた遺体の検死などにかかわった人で、当時の現場の状況がわかります。

本墜落現場―遺された人たち飯塚 訓
上と同じ人が書いた本。
こちらではその後の遺族の方をこの方の視点で書いたもの。

本墜落の夏―日航123便事故全記録吉岡 忍
これは事件に関するありとあらゆるものを取材し、それをまとめた本。この中で最も衝撃的だったのはこの事故の生存者落合由美さんの証言。当時日航機のスチュワーデスだった落合さんの証言はとても描写が細かくて読んでいるだけで想像できてしまうほど。リンク先はその落合さんの証言を掲載しているページのため、読みたくない人は飛ばないようにして下さい。

本沈まぬ太陽山崎 豊子
一応フィクションになっているけれど、日航のジャンボ機墜落事故をモデルに書いている本。これを読むと日航という会社の体制がわかりちょっと不安になる。

本御巣鷹の謎を追う -日航123便事故20年-米田 憲司
これはまだ読んでいないけれど、ちょっと気になっていて購入しそうになっている本。DVD付で日航機の軌跡とボイスレコーダーの構成になっているらしい。

他にも沢山の墜落事故についてのサイトがあるので、どんな事故だったんだろう、もっと知りたいという方は検索してみるといろんな情報が出てきます。個人的にはちょっと怪しいと思うサイトもあるのだけど・・・。

もうすぐあの事故から20年。
これからも安全に運行して欲しいです。

【8/12追記】

◆他の方々のそれぞれの思い
 当時どんな気持ちでいたかとか占いから見た見解とか、個人個人の方の
 感想は読んでみるといろいろ考えさせられます。

鉛筆ぽんこのお気楽社会派日記さん
鉛筆言論弾圧日記さん
鉛筆我思う故に我ありさん
鉛筆TRIMENTさん
鉛筆クルマ@マジレス系Blogさん
鉛筆日々徒然愚痴日記さん
鉛筆気まぐれソウル通信さん
鉛筆ああやっぱりさん
鉛筆plus*hautさん
鉛筆はぎや・えれいねさん
鉛筆考えあぐねて三千里さん
鉛筆Hiroyukiの「徒然なるままに」さん
鉛筆こちら中堅企業企画室さん

他にも事故についてブログを書いた方がいましたらどんどんトラバして下さい。

◆各局が組む特別番組の一覧

12日18:25 TBS ボイスレコーダー〜残された声の記録
12日21:00 NHK あの日を忘れないで〜日航機墜落事故20年目の遺族
12日21:00 フジ 墜落
14日0:45  日テレ NNNドキュメント’05「あの夏…御巣鷹山」

【2007/8/24追記】

雑誌写真の説明部分に不適切な表現があったのでここで修正したことをご報告させていただきます。以下は衝撃的な写真についての説明になります。

今回のリンク先の雑誌は、通常に生活している上では考えられない光景の写真が並んでいます。具体的にいうと、この飛行機事故の事故現場「モロ」写真なので、一般的に考えるとそのような現場で写真を撮るという行為自体が不謹慎と思いますが、「個人的には」自分が思っていたより飛行機事故は悲惨だということが理解できた写真でもありました。ただ、一般的にはショックを受ける方が多いと思われますので、あまりお勧めできませんし、見る必要もないと思います。ちなみに現場写真には一切モザイクなどがかかっていないため、当時よくこのような雑誌を発行できたなと思います。(逆に当時だからできたのでしょうか)どうしてもその写真を見てみたい方はこちらのJAL123便墜落事故リンク集へどうぞ。

■関連記事■
飛行機の墜落の瞬間【動画】
ステキすぎる飛行機の客室
一生のうちに絶対に一度も聞きたくない音声
JAL123便墜落事故の原因は内部爆破?
JAL123便日航ジャンボ機墜落事故
墜落体験記
飛行機が怖い

この記事のカテゴリ:時事・ニュース
 
| かりん | 02:36 | comments(85) | trackbacks(37) | |
Related Posts with Thumbnails
スポンサードリンク
当時中学生くらいだったようでしたが、私も、衝撃が走りました。あれ以来J○Lには一度も乗らないし、座席も生存者がいた後方に乗るように無意識のうちになりました。
犠牲者に追悼の念を表します。今月は6日が広島原爆投下、9日が長崎、12日が墜落、15日が終戦記念日、悲惨な過去が風化してしまうんですね。
貴方はいくつこの日にちの意味が判りますか・・・。
| 温泉爆走族 | 2005/08/09 8:36 AM |

まだこの事故が発生したときには生まれてなかったのですが
何となく気になっている事故です
未だにこの事故は謎がたくさんあってそれがものすごく気になっています
真実を知るためにもこの事故を風化させてはいけませんよね
| tiwa | 2005/08/09 11:09 PM |

蛇足の余談だけど、
この飛行機に明石家さんまが乗るはずだったけど
何かの事情でキャンセルして免れたらしいね。
それを思い出した。
| ziggy | 2005/08/09 11:11 PM |

>温泉さん
かりんも後の方の席に・・・というのは無意識にあったけど、
シリモチ事故とかだと逆に後が危ないよね。
飛行機が危険にさらされたら後はもう運まかせだよね。
自力では何もできないしね。

8月はほんとこういう嫌な記念日が多いですね。
3日ごとに・・・というのがなんだか気になります。

>ちわ
ちわはまだ誕生してなかったのかー・・・
ということはずっと後になってから知ったのかな?
そういう人にも知って欲しい事件です。

>じぎ
それは初耳!!乗らなくてよかったねぇ>さんま
こないだなんかのテレビで3度不運からすくわれた男!
みたいのをやってて、その人の危険は
1.函館沖で沈没したなんだかっていう船の事故
2.日航機墜落事故
3.ホテルニュージャパンの火災
この3つ全てにかかわる予定だったのに、
飲みすぎて寝過ごしたり、遊びすぎて乗り過ごしたりして
助かったという話だったよ。
| かりん | 2005/08/10 3:15 AM |

遅れながらどうしてもコメントがしたかったので・・・
当時私は中学生でしたが、この事故に関しては新聞やTVの報道を食い入るように見ていた記憶があります。
また、つい1〜2年前ですが、航空鉄道事故調査委員会(国土交通省の下部組織)の発表した事故報告書も読みました。
私にはその報告書の内容は大体納得のできるものでしたが、その筋の専門家(元機長や航空評論家と呼ばれる人たち)にとっては矛盾や謎の多い内容だそうです。
そういうことが20年を迎えるにあたり、もう一度この事故を見直して検証してみようという動きにつながっていると思います。
航空会社に限らず先日のJR脱線事故に対しても、公共交通機関にはコストや効率以前に安全こそが最優先課題であるということを再認識し、肝に銘じてもらいたいと思った次第です。
ここ数年、重大インシデント(事故に繋がりかねない重大なトラブルやミス)にしょっちゅうJ○Lが絡んでいるのが非常に気になります。
ちなみに北海道へは毎回J○Lを利用しています・・・(-_-;)
| ロッシュ | 2005/08/12 1:38 AM |

当時中学生ならかなり新聞とかも読めましたよね。
私は当時小学校低学年だったので、新聞とかは子供欄しか
読んでませんでした。
事故報告書、私も読みましたよ。
ロッシュと同じく私も特に疑問はなかったけれど、
いろんな見解を読んでいるといろいろあるみたいですね。
中にはグリコ森永犯人説とか自衛隊衝突説とか
とんでもないものもありますが、よくわからない私にとっては
もしかしてそんなこともあるのかなぁ?なんて漠然と思って
いましたが、昨日6時台のニュースで当時ボーイング社で
修理を担当していたという外国の方がテレビに出ていました。
それを見てやっぱりアレは修理ミスだったのか・・・
となんとなく思いましたが、まさかこれもマスコミ戦略?
・・・なわけないですよね^^;

本当にここ最近はあれだけの事故を起こしたJ○Lが
またいろいろと問題を起こしてますよね。
この間のJR事故でもハインリッヒの法則なんてコトバが
飛び交ってましたが、これもまさかそれに当てはまるのでは?
と不安になります。

ハインリッヒの法則=一件の重大事故の背景には、29件の小事故があり、300件のニアミスがある。
| かりん | 2005/08/12 5:33 AM |

はじめまして。トラバありがとうございました。この事故で坂本九さんがなくなったのは何といっても衝撃で、僕にとっては「新八犬伝」の語り手として永遠の存在です。事故直後に川上慶子さんの救出作業がテレビで放映されたりした時にすぐに「川上慶子さんを芸能界に」なんて声が上がって、なんてメディアは勝手なんだ、と憤った記憶があって、いまでもそういう意味での不信感はぬぐい去れていないのです。
| virtualpc6 | 2005/08/12 6:37 AM |

はじめまして。
当時のニュースやワイドショーは片っ端から見た記憶があります。今、航空機事故があるたびにテレビに出る航空評論家の青木謙知氏の父親の日出雄氏(この人も航空評論家だった)が出ずっぱりでしたね。
父親そっくりに老けていく謙知氏を見るに時の経つのを感じます。
| kochikika | 2005/08/12 9:43 AM |

>virtualpc6さん
コメントありがとです。
本当にこの事故自体も衝撃でしたよね。
それまではジャンボ機は空中衝突でもない限り落ちない
とか聞いてたので、これ以来何か信頼できなくなりました。
川上慶子さんは確かに綺麗な方でしたよね。
でもマスコミのやり方には私も疑問を感じます。

>kochikikaさん
コメントありがとです。
20年という年月は過ぎてしまえば短く感じるけれど、
実際、長いですよね。本当に時間の流れを感じます。
| かりん | 2005/08/12 9:55 AM |

はじめまして、おじゃまします。

TBありがとうござました。
あの事故以来、怖くて飛行機に乗れなくて(一度どうしても乗らなきゃならなかった時は、不安でめまいやら吐き気やら冷や汗ダラダラでした)いまも移動はどんなに面倒でも陸路です。ただ、そろそろ克服しなくてはと思います。確かに衝撃的な出来事でしたが、むやみに飛行機を怖がったりするのは違うよな。。。と、最近思い始めたので。
私の知り合いは自衛官ですが、当時あの現場で遺体の捜索に加わっていたそうです。飛行機が堕ちた場所と遺族の方々が控えている場所は一見、目と鼻の先のように見えて「なぜ私たちを現場に行かせてくれないんだ!」という声があがったそうですが、実は相当に険しい山道で普通の人に越えられるものではなかったし、第一、遺体をどんどん集めてくるんだけど、どれもバラバラでどれが誰の身体なのかまるで分からなかった。そして現場の臭いも。とても遺族の方々に見せられたものではなかったと語っていました。事故後にこういう体験をした方と知り合いになったのも、なにかの縁なのでしょうね。
| ウメニャンコ | 2005/08/12 2:20 PM |

とうとう忘れられない日が来ましたね。それにしても昨日もJ○Lは、不祥事。
「飛行機に毎日乗っていても、事故に遭うのは438年に1回」と確率論では言っていますが、その1回をを引いてしまった、JAPAN AIR 123 この教訓を果たして生かして現体制に望んでいるのでしょうか?。やはり太平洋戦争はどこか空想的ですが、この事件だけは自分のなかでのリアルタイムだったので、多分一生わすれないでしょう。
18:56分に黙祷です。
| 温泉爆走族 | 2005/08/12 3:15 PM |

>ウメニャンコさん
コメントありがとです。
確かに飛行機は怖いですよね。
私はあれ以来10回くらい飛行機に乗っていますが、
自分が乗るときはそれほど怖いと思ってませんでした。
でも一度エアポケットかと思うけれど、
飛行機で怖い思いをしてからは一度も乗っていません。
一度落ちるかも!という経験をしてしまうと、
あんな思いは二度としたくないという気持ちが先に立って
乗れません。怖い思いをするのが怖いってやつですね^^;
もしかしてもう一生克服できないのではないかと心配です。

>温泉さん
確率論でそうだったとしても、これから400年
ずっと起こらないかといえばそうでもないですよね、多分。
人間はミスをするもの、というのはわかっていますが、
こんなことは二度と起きて欲しくないですね。
| かりん | 2005/08/12 5:34 PM |

初めまして。うちのブログにTBしてくださった方のブログにTBしてあったこちらのブログを尋ねてみました。
さっきまでずーっとTVに釘付けでした。

私は遺族でも関係者でもないけど、
地元ってこともあって、あの日のあの瞬間の変な胸騒ぎも、異様な感覚もしっかり記憶に残ってて、
迷走する飛行機を目撃した人の話も、爆発音を聴いた人の話も、あの山で救援活動に参加した人の話も、あの体育館で遺族の方の受付をしていた人の話しも、、、いろんな人からいろんな話を伝え聞いています。。。

あれから20年だからとか関係なく、何年目であっても毎年、特にこの時期は御巣鷹山を思い出します。
やっぱり記憶に張り付いている事故の一つです。
| kuu | 2005/08/13 12:28 AM |

初めまして、、、
私も当時小学3年生でした。私は墜落する前の123便を見ました。東京の青梅に住んでいるんですが、夜の7時前に友達の家から帰る途中でした。薄暗い夕焼けの空に大きい飛行機が爆音をたてながら低く飛んで行く。。。機体にはJALと書いてありました。私の家の近くには米軍の横田基地があります。良く米軍機が飛んでいるのを見ますが、旅客機がこの上空を飛ぶなんて聞いた事もありませんでした。
家に帰り父親に「旅客機ってこの辺飛ぶの?」って聞いたのを覚えています。旅客機は飛ばないという話をした後に、
テレビのニュース速報が流れて消息不明と知らされ、鳥肌が立ったのと泣いてしまったのを覚えています。

その時のJAL123便の飛んでいる姿は忘れられません。
あの中で、機長や乗客の色々な方の思いが葛藤してたのかと思うとやりきれない思いでいっぱいです。

すみません、、、
あれから20年。事故を風化させてはいけないと私もつくづく思います。
| mari | 2005/08/13 12:42 AM |

>kuuさん
私もテレビに釘付けでしたよ。
当時はあまり訳もわからずにニュースを見ていたので、
今見てみるとなるほど、と思うところが沢山ありました。
kuuさんは地元なんですね。
遠い北海道に住む私でもこんなに鮮明な記憶なんだから、
地元の方だともっといろいろ思うところがあるでしょうね。
大人になっていろいろ知ってからは毎年私も思い出しますよ

>mariさん
きっと同い年ですね。
墜落する前の飛行機を目撃したんですね・・・。驚きです。
子供の頃の経験ってかなり後々まで残るので、
mariさんの中でもとても強烈な出来事として残っているのでは
ないかと思います。
本当に何十年経っても風化させたくない事故ですね。
| かりん | 2005/08/13 2:20 AM |

TBどうもです。

この事故は、同じ時間帯に空の上にいた者としては、
ヒトゴトではありませんでした。

また、伯母がJALの人間であり、
従兄弟家族が福岡発「大阪行き」に乗っていたこともあり、
当時9歳だったにも関わらず、よく覚えています。


人の想いは時とともに薄れていくものですが、
教訓は残して欲しいものですね。
| macoto | 2005/08/14 2:17 AM |

>macotoさん
コメントありがとです。
同じ時間帯に空の上にいた・・・
というのも衝撃ですよね。
ただ普通に家にいた私ですらとても衝撃でしたから・・・。
乗り物の安全は本当に教訓にしてもらいたいです。
JALなどの飛行機ももちろんJRなどの鉄道も。
| かりん | 2005/08/14 4:34 AM |

金曜日、NHKスペシャルでこの「茜雲」が紹介されてました。
いまでも事故の原因究明に取り組み、御巣鷹山で事故機の破片を採取している男性や、福知山線の事故で悲しむ遺族を見て、かつての自分を重ね、その事故現場に訪れて冥福を祈った女性…番組を見て、あらためて事故にあった人それぞれに、そして残された遺族の方々それぞれに物語があるのだということを感じました。胸が締め付けられる思いがしました。

事故がゼロにはできないかもしれない。でも、ゼロに限りなく近づけるようにしてほしいものですね。


| なつき | 2005/08/14 11:52 PM |

私も見ましたよ。
戦時中を生きてきた方なら息子さんが二人、三人
亡くなってしまった方とかも沢山いらっしゃって、
それよりはいいなんてことも本の中にありましたが、
こういう事故がなければ一番良かったですよね。
確かに起こってしまった後では私でもそう思うことしか
できないかもしれないと思いますが。
やっぱり病気とかで亡くなるよりも殺された、という思いが
強いでしょうね。人為的ミスですし。
| かりん | 2005/08/15 12:20 AM |

初めまして。
当時の写真週刊誌の写真見られたのですね。
確かに強烈にグロいですね。現場の壮絶さを
感じられずにはいられません。
しかし、一番つらかったのは遺体を遺族に引き渡す
瞬間だったと思います。
小生、以前山岳遭難救助で同様の場面に出くわした
ことがありましたが、棺にふさぎ込み号泣する
遺族の姿には耐え難きものがありました。

当時小生は引っ越しの仕事をしていて、
事故の数週間後、事故に遭われた家族の引っ越しを
お手伝いしました。
一家全員が事故に遭い亡くなったらしく、
まだ、生活臭のする家の中は、主を失い静寂そのもの
でした。
そんな中、遺族の方がたまたま押し入れにあった
アルバムを手に涙ぐみながら、亡き人を偲ぶ姿を
目にし、もらい泣きをしながら作業をしたのを
覚えています。

それから、あの事故は記憶の外にありましたが、
数年前から冬に上野村を訪れる機会があり、
事故現場付近を間近に見ることができました。
そこは群馬と長野の県境なのですが、
長野側はたおやかさがあるのですが、群馬側は山深く、
尾根は急峻で当時の救出活動の難しさがうかがえました。

もうまもなく、彼岸が過ぎ涼しくなって、
山が静かになった頃、御巣鷹の尾根を訪れたいと
思っています。
| ななし | 2005/08/16 10:35 PM |

あまりこの事故のことをよく知らない頃、
興味本位で見てしまいました。見た後後悔しましたよ。
グロいから、という理由ではなくて衝撃が強すぎて。

遺体を遺族に引き渡すときは本当につらいんじゃないかと
私も思います。私の場合は飯塚さんの本などで感じただけで
実際そういう場面にでくわしたことはありませんが。

最近もテレビでいろいろな特集をやっていましたが、
道ができている今でもあれだけ険しい山道なんだから、
最初は本当に大変だったろうなと思います。
| かりん | 2005/08/16 11:36 PM |

初めまして。
あれからもう20年も経ってしまったんですね・・・。
当時、私はA○Aの客室乗務員でした。8月12日、ちょうど123便が羽田を飛び立って行った頃に勤務を終えて帰宅しました。家に着き、夕飯のテーブルに座っていたちょうどその時、ニュース速報のテロップが流れたのです。「日航123便の機影、レーダーから消失」・・・一瞬「えっ?」という感じですぐに意味が飲み込めなかったのですが、すぐに大変な事が起こった気がしました。それからの私はテレビに釘付けになり、日付が変わってもずっとニュースを見続けていました。

そして翌日、私には羽田ー大阪間のフライトがあり、クルーはもちろん乗客全員も、ものすごい緊張感に包まれて飛んだことを覚えています。そして、大阪で次の便の待機をしている時に入った、生存者ありの一報。涙があふれてきました。

そして時間が経つと同時にいろいろな思いが頭の中をめぐりました。実際、飛行機のダメージがどれだけ大きいものだったかもわからず、とにかく揺れのおさまらない飛行機の中で乗客はどんなに怖かっただろうか・・・と。そして乗務員は、不安がる乗客を落ち着かせ、必死に自分達のやるべきことをしながら、きっと墜落のその瞬間まで、キャプテン達を信じて無事還って来ることを疑わなかっただろうと・・・そう思うと、切なくて切なくて、涙が止まりません。

いろいろな面で人間や技術は進化を遂げていますが、あれからも悲しいことに航空事故は後を絶ちません。もう、あんな悲惨な事故で悲しむ人が一人もいなくなることを本当に願っています。

最後になりましたが、亡くなられた皆様のご冥福を心からお祈りいたします。
| ジュリア | 2005/08/20 10:42 AM |

ジュリアさん、はじめまして。
20年という月日は長いような気がしますが、
過ぎて振り返ると短く感じますよね。
当時客室乗務員だったということは、単によくわからず
ニュースを見ていた子供だった私とは全く違う見解で
この一連のニュースを見ていたのではないかと思います。
他人事ではないですよね・・・。

客室乗務員の方は本当にスゴイとボイスレコーダーを聞いたとき思いました。ところどころ客室のアナウンスが聞こえていましたが、そんな状況の中、とても冷静に聞こえます。客実乗務員の方だって怖かっただろうと思います。

本当にこのようなことが二度とないことを願います。
| かりん | 2005/08/20 3:24 PM |

はじめまして。
20年・・・早いものですね。
私も航空関係の仕事についていて、当時新人でした。
「123便がレーダーから消えたらしい」
と上司が言い、「どういう意味ですか?」と聞くと
「・・・落っこちたかもしれないな」と
暗い顔をして言い、驚いたのを覚えています。
その後のニュースには,信じられない映像が流れ
恐ろしかったです。
その後、ボーイング社にからんだ色々な疑惑が
ささやかれ、色々な本が出版されました。
でも真実は明らかになっていませんよね。
私にも子供が生まれ命の大切さが大きく感じられ、
あらためてご遺族の無念を感じます。
どうか、風化させずに、そして2度と事故のないように。
| しゅう | 2005/08/29 4:32 AM |

しゅうさん、はじめまして。
20年って過ぎてから振り返ると本当に早く感じますよね。
しゅうさんは航空関係の仕事だったということで、
余計にいろいろ思うところがあったのでしょうね。
飛行機に限らずこのような事故が二度とおきないように
私も願っています。
| かりん | 2005/08/29 1:06 PM |

はじめまして。
御巣鷹山の事故に関する記事をアップしたので、TBさせていただきました。ワタシはとある筋から(雑誌に載っていたのとは違う)遺体の写真をいくつか拝見する機会がありました。それはたいへんなショックを受けたものです。
そのときのいたたまれない気持ちを忘れないためにも、自分の考えをまとめてみたつもりです。
よろしかったら読んでみてください。
| noobow | 2005/09/02 4:21 AM |

はじめまして。

今まで読んだことのない視点での話だったので
興味深く読ませてもらいました。
トラックバックありがとうございました。
| かりん | 2005/09/03 12:48 PM |

以前トラックバックしていただいた、CALS's Library
のtmnrstです。

このたび、ブログを移行するとこになりましたので、
もしよろしければ、
http://calslaibrary.ti-da.net/t493179
に再度トラックバックしていただけると嬉しいです。
| tmnrst | 2005/09/12 4:05 AM |

お知らせありがとうございます。
早速トラバさせていただきました。
tmnrstさんもよければトラバ返ししてくださいね(^-^)
| かりん | 2005/09/12 8:35 AM |

かりんさん 今晩は昨日はベットの件でお世話になりました。興味深く拝見していて偶然こちらにも目がとまりました。

20年前あの日航機事故で友人のご主人が亡くなりました。あのとき私もお腹に子供がいて…そして彼女のお腹にも赤ちゃんがいました。
その子たちも来年成人式です。毎年この事故と子供達の年齢を重ねてしまいます。
彼女は今でも立派に子供達を一人で育てて頑張っている一人だと思います。他にもたくさん同じ立場の方もいらっしゃるんでしょうね。
| ヒロ | 2005/10/19 9:54 PM |

ヒロさん、こちらも見てくれてありがとうございます。

ヒロさんにとってこの事故は身近な事故だったんですね。
私は全く知人も知人の知人も誰も関わっていなかったけれど、
今でもとても衝撃的に心に残っている事故なので、
ヒロさんにとってはもっと心に残る出来事ですよね・・・。

もし、自分だったら。と置き換えたら本当に心が苦しくなります。
この事故に関わっている遺族の方やその知人の方は沢山
いらっしゃると思いますが、皆さんきっといろいろなことを
乗り越えてきた20年なんだろうなと思います。
| かりん | 2005/10/19 10:37 PM |

書き忘れましたが…実は私も飛行機が怖い!この事故以来飛行機に乗れなくなってしまってどんなどんな遠い所でもひたすら地道です。
あれから20年…今回とうとう来月飛行機に乗る羽目に…
実は海外旅行ペアチケットが当たってしまったのです。
子供が当たったのですが学校休めなくて行けないので娘が(あのときお腹にいた子です)どうしても私に行ってこいと…
これも何かの縁なのか偶然なのか…娘からの思いがけないプレゼントなので悩みましたが行くことにしました。

ちなみに香港ディズニーランドです。旦那と2人で行くことになりましたが(きっと異国で喧嘩しそうです)子供達だけ残してもしもの時は…と今でも内申不安だらけです。
帰国してまたこちらに飛行機体験をカキコ出来る事を願ってるのですが…
| ヒロ | 2005/10/20 9:31 PM |

飛行機が怖いのはどうしようもないですよね・・・。
海外旅行とてもうらやましいです!
でも私も飛行機が怖くていまだに一度も行けず。
でもせっかくなので楽しんできてください。
香港のディズニーはニュースで見てとても気になってました。

ニュースでは事故の時ばかりやるので事故が多いような
気がするけれど、実際はそんなに確率的には多くないはずなので
あまり心配せず楽しくいくと娘さんもよろこぶのではないかと思います(^-^)
| かりん | 2005/10/20 11:21 PM |

正直まだやるかってのが感想です。
MD−80の整備不良問題・・・
(`m´#)ムカッ
あの機体はパイロットさんたちは軽くて良いって
言うけど・・・どうなんだろう(・_・?)
正直、飛行時間が短いような気がするのは僕だけ
(・_・?)
徹底的に叩くべき問題がすます。q(`ε´)p
| 温泉爆走族 | 2006/03/24 12:34 PM |

>温泉さん
ほんとだよね。去年からずーっとこんな事故続き。
大きい事故になっていないからいいとか思ってるんだろうか。
このままでは第二の123便が出てきてしまいそうで
とても不安を覚えます。
飛行機料金全体が値上がりしてもいいから、
命にかかわる部分は徹底的にして欲しいです。
| かりん | 2006/03/24 5:26 PM |

私は、日航ジャンボ機墜落事故で唯一一人残った川上慶子さんと同姓同名です。初めて親から聞いたときは、びっくりしました。会ってみたいと思いました。 
| | 2006/06/13 4:30 PM |

川上さんと同姓同名なんですね。
初めて親から〜ということはこの時はまだ
生まれてないか、幼かったんですね。
ちなみにこの事故では4名の方が助かっていますよ。
それでも524名のうちの4名なので皆さん奇跡的ですね。
| かりん | 2006/06/13 11:26 PM |

初めまして。この事故の関連記事をアップしたのでTBさせて頂きました。
夏になると僕はこの事故を思い出します。かりんさんは書籍なども網羅されてすごいですね。
僕ももっと勉強して、こんな痛ましい事故が起きぬよう自分にできる事があったら頑張りたいなって思います。
| haruki37 | 2006/07/14 12:16 PM |

>haruki37さん
はじめまして。TBありがとうございました。
こちらからもTB返しをさせていただきました。

私もこの事故に衝撃を受けたひとりで、本を読み漁ったのです。
ここに記事をUPしてからも遺族の方が書かれた本を
更に何冊も読みました。
遺族の方が書かれた本などは既に廃刊になっているものが
多いのでなかなか手に入れることができないかもしれませんが、
機会があると読んでみるといいですよ。

本当にもう二度と起きて欲しくない事故ですね。
最近の飛行機の小さなトラブルを見るたびに
このことが頭をよぎって怖くなります。
| かりん | 2006/07/14 2:05 PM |

先日、9・11の現場から多数の人骨が発見されたというニュースを見て、同じく凄惨な現場だったと以前本で読んだ日航ジャンボ機墜落事故を思い出し、調べていてこのブログに行きあたりました。俺は当時まだ生まれては居ませんでしたが、毎年夏に放送される特番の当時の状況の再現などを見て涙しそうになります。
リンク先の写真はとてもグロいものでしたが、被害者のあのような姿からは多くのことが伝わりました。
節目の20年が過ぎ、事件の風化は大いに危惧されます。我々の誰もがこの事故を忘れてはいけないと強く思います。
| Irish | 2006/10/26 10:18 AM |

>Irishさん
本当にこの事故はいつになっても悲しい事故として記憶が蘇りますね。リンク先の写真は確かに道徳的にどうなのか?と問題になっているのもわかりますが、こんなひどいことが実際に起きたんだと納得するには十分すぎるものだと思います。

私も同じくこの事故を忘れてはいけないと毎年この時期は記事にすることに決めました。もちろん今年も書きました。風化させて同じことが起こってしまったらと考えると、たとえ一個人の小さな努力でもしてみようと思っています。
| かりん | 2006/10/27 4:35 AM |

グロいという言い方は亡くなった方に失礼だと思います。皆同じ人間です。
| A | 2006/11/04 3:40 PM |

>Aさん
確かにそうですね。不快な思いをさせてしまって申し訳ありません。
その表現はあまりよいものではありませんが、
中にはそういう画像には触れたくないという方もいるので、
わかりやすいようそのまま提示することにします。
| かりん | 2006/11/04 8:53 PM |

度々ボイスレコーダーはビデオで見ています、今も再放送を見ています、ネットで米軍が先に墜落現場を発見していたと知りました、日本の面子など考えず救出作業をして欲しかった、そうすればもっと助かっていた人がいたはずだと思う。*なぜかこのドラマは度々見てしまう。心からお悔やみ申しあげます。一生この出来事は忘れられないと思う。
| 飛行機好き | 2007/02/18 3:34 PM |

>飛行機好きさん
私もボイスレコーダーは今も残してあります。
救出作業は確かにすぐにしてほしかったですよね。
あの山の急斜面などを考えると一体どのくらいできたか
というのは謎だけれど、それでもそういうことをしてほしかったですね。
私も一生この出来事は忘れません。
| かりん | 2007/02/18 6:23 PM |

自衛隊が追撃したという説。政治が絡んでいるという説。隠蔽工作。


すべて明らかになる日はきます。きっと。
| | 2007/07/25 11:13 PM |

不幸にして犠牲になられた方々、望まずにそのような姿になってしまった方々に対して、「グロ」という表現は、そのほかの部分でいくら美辞麗句を並べてたてても表面面だけです。
犠牲になられた方、ご遺族関係者に対しても大変失礼
に感じます。
考え方を改めていただきたく思います。
| 失礼です。 | 2007/08/24 10:29 PM |

>失礼です。さん
どんな人が読んでもすぐにわかるような表現にと思って表記しましたが、不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありません。表現を変えさせていただきました。
| かりん | 2007/08/24 11:44 PM |

全然違う言葉をキーにこのブログにたどり着きました。

拝見するだけで、書き込むつもりは全くありませんでしたが、この事故については強烈な記憶があります。当時小学校3年生。転勤がちだった我が家は当時東京に住んでいましたが、お盆になると父親の実家のある関西に帰省していました。
同日、車で帰省しました。当時”お金持ちが乗るもの”と両親が言っていたし、そもそも空港が遠かったので便利が悪く、帰省の際の選択肢に入らなかったのです。到着後は、どうやら長野と群馬の県境付近に墜落したらしい…と物々しくニュースになっていたのが、思い出されます。
明くる朝、朝の番組に九さんが出ていました。いつもニコニコ会ったこともないのに気さくな印象の強い彼の笑顔がハッキリと思い出されます。また、画面下にテロップで撮影日時が出ているのを見て、胸が締め付けられた事が思い出されます。

あれから、二十余年。。
飛行機を使用すること自体に恐怖を覚えることはありませんが、不思議とその会社だけは選びません。
現在は遠距離恋愛のため、羽田〜新千歳間を年間最低10往復しています。
出張や旅行なども含め、これまで70フライトくらい乗りましたが、着陸の上手下手が分かるようになりました(笑)。

いつも指定するのは、うしろの窓側です。。

起ってはいけない痛ましい事故ですが、人間が携わるものである限り、必ずどんな形であれエラーは起きます。衝撃的な写真も、隠さず公開することが本来と個人的には思っています。

戦争の記録もそうですが、原爆などあの惨状を見なければ…見たって伝わりきらないと思います。
人は必ず死にます。災害や事故に遭われた方々は、後世にかけがえのない教訓を遺してくれているのです。
幸い大事には至りませんでしたが、阪神大震災の惨状を目の当たりにした、個人的な気持ちです。

| たつん | 2008/01/23 4:50 PM |

>たつんさん
たつんさんは私と似たような年齢なんですね。
そしてたつんさんはちょうどこの事故が起こった頃に
この飛行機のルートと同じように帰省されてたんですね。
そこまで鮮明な記憶として残っているのもそのせいなのかな。
私もこの事故のことは結構覚えているつもりだったけれど、
そこまでは記憶にありませんでした。

私もこの事故が原因で飛行機が怖くなったわけではないけれど、
一度怖い経験をしてからはもうダメです・・・。
あ、これは関係ないことですね^^;

だけど年間最低10往復ですか。
しかもその話からいくと関東と北海道での遠距離でしょうか。
遠いのはなかなか大変ですよね・・・。
そこまで乗っていても自然とこの会社を
避けてしまうのはやはりその強烈な記憶が元になってるのかな。

完璧な人間がいないのはわかっているので、
たつんさんの書いていることももっともですよね。
最近の報道の自主規制では本当のことがわからないままかも。

貴重なコメントありがとうございました。
| かりん | 2008/01/23 5:40 PM |

歳近いですよね。。
いろいろな記事を拝見していながら同年代だなぁと思っていました。

飛行機の怖い体験…
私もありました。

石垣島へ旅行した帰り…台風が上陸したのです。
しかし、次の日は仕事だったのでどうしても帰る必要がありました。
乱気流でフリーフォールに乗ったときのような落下感がしてとても怖かった記憶があります。
70人乗りの小さな飛行機だったことも怖かったですね。

その時は、もう一度レンタカーを借り直してでも、ホテルに延泊のお願いをしても良かったかなと思いました。飛んだのは22時過ぎだったのですが、空港には14時から待っていたんです。島の小さな空港には人で溢れかえっている…それも疲れてたのかもしれません。

結局羽田からの終電がなく、アロハ着たまま会社行きましたけど(笑)。

個人的には車の運転が好きなんです。ですから、北海道旅行の際も自分の車で2回上陸しました。ただ、03年に幕別のペンションで震度6弱を味わいましたが…。
そのため、あまり飛行機に乗ることはなかったのですが、出張でどうしても乗る事が多くなったのと、機窓から見える夜景は筆舌に尽くしがたい絶景です。

そして、意外なことに123便のフラッシュを見て、不安が少し消えたんです。
あの飛行機が整備不良によるものなのか、機体そのものの欠陥だったのかは、私にとってはどうでもいいことでした。
それよりも、あれだけの大惨事が起き、かつすぐには機体の異常がどこの故障によるものなのか特定が出来ないままなのにも関わらず、最後まで諦めずに安定飛行を試みた機長の腕は確かだったと思います。

ボイスレコーダーより…途中諦めて弱音を吐きそうになり、でも、もっと不安そうにしてる副操縦士を見て鼓舞する姿は、そうとうタフな精神力がなければ出来ることではありません。
こんなパイロットになら、命預けていいなって(笑)。

もちろん、嫌いな人に好きになれと言うつもりもないんですけどね。。

遠距離のお付き合いですが、今は携帯電話もありますし、彼女は札幌市内、羽田から近いところに住んでることもあって、「これから行くね」のメールの後2時間半くらいで逢えるんです。ですから、よくよく考えれば、旭川や帯広と同等かそれより近いかもしれません。…そんな風に考えています(笑)。

報道については…少なくとも旅客事故や災害については、規制は必要ないとの気持ちが強いですね。
現在、携帯電話を含めインターネットによる誹謗中傷、揶揄、事実無根の風説の流布…それらも跋扈してしまっています。否、むしろ衆人の何人にもそれらが可視化されてしまっています。
そういう意味では、すべての情報を信じて鵜呑みにする、視聴者の方が学んで行かねばならない時代なのかなと言う気がします。

かりんさんは大変細やかに言葉を選んで書いていらっしゃるなと感心しました。(偉そうで済みません。)

P.S.midiを着メロにするのページでの執拗な質問にも丁寧に回答されていたので。

すっかり長文になってしまいました。
失礼しました。

| たつん | 2008/01/23 7:52 PM |

>たつんさん
それもまた恐ろしい体験ですね。
70人乗りでも小さい部類に入るのか・・・orz
飛行機が小さいほど乱気流の影響を受けますよね。
思えば私が乗った飛行機も30人乗りくらいの
小さい飛行機だったからあんなに怖かったのかな。

03年というと十勝沖ですよね。
あれは私も人生で初めて震度6を経験した地震です。
まさかあんな状態になるとは・・・とビックリだったけど、
会社が休みになることもなく、余震が続く中
皆普通の一日を過ごしてました。←そっちのがビックリ。
飛行機から見る夜景は絶景ですよね。
でも私は飛行機にどうしても乗らなくちゃならなくなったら、
夜は避けるかも。。。やっぱり事故が怖くて^^;

フラッシュを見て不安が少し消えたっていうの、
ものすごくわかりますよ。
乗客として乗ってるとコックピットで操縦している人が
自分の命を預かっているわけですが、
コックピットの様子なんてわからないですしね。
もしかして適当にしてたらコワイ、と思ったりもしてたけど、
ボイスレコーダーを聞く限りでは最後まで諦めずに
操縦しているプロ意識のようなものを見て、
ちょっと安心できました。

テレビの報道については私も規制の必要はないと思います。
たつんさんが書いてる通りネットがある限り
テレビがいくら規制してももっとひどいものが流れています。
確かにネットは自主的に見るもので、テレビは向こうから
勝手に(といってもチャンネルは自分で選んでますが)
流しているものなのでその違いはありますが、
むしろネットの方がもう少し規制しなければならない気がします。

そしてほめていただいてありがとうございます。
正直midiを着メロに・・・のコメントでは
感情的になったりもしたので今読み返すと
なんてレスをしているんだろう、と思ったりするけど、
自分では一応ここは誰にでも見える公の場だ、
ということは意識して書いています^^;
なのでそういってもらえると素直に嬉しいです^^
| かりん | 2008/01/23 8:52 PM |

今晩は、そろそろ、20年以上前になるけど、御巣鷹の尾根に
JA 123がぶつかった時刻だね。

僕らリアルタイム世代は一生忘れちゃいけない航空事故だと思います。
かりんさんはどう思う?

御巣鷹の尾根で無くなった方々に追悼の念を表します。
| 温泉爆走族 | 2009/08/12 5:34 PM |

>温泉さん
今年は24年目です。
ほんとそろそろ時間ですね。
私も忘れちゃいけない事故だと思ってます。
今年は6月にJAL123の件について書いたので
今日の記事では触れていないけども。。。
| かりん | 2009/08/12 6:27 PM |

24年前ですね…ちょうど今日のBS2でやっていた
日めくりタイムトラベルが昭和60年でした。
日航機墜落のほかにも阪神タイガースが日本一、
怪人21面相の事件終結、豊田商事事件とか
イロイロあったんですね…でも小学校3年生の
自分はいまいちこの時あったのか!と言った
目の当たりにした感は皆無でした(+_+)
だんだん忘れてんのかなぁ………
| ケロケロ軍曹 | 2009/10/10 11:57 PM |

>ケロケロ軍曹さん
私も同じですよ。なんかあったよな〜。
くらいのぼやーっとした記憶でした。
でもいろいろ見てると蘇ります。
いつの記事だったか忘れたけど、
日航機の事故のことを書いた時に
グリコ森永事件の犯人がこれに乗っていた
みたいなことをチラッと書いたことがあるけれど、
その事件についてもこんなことあったかも?
程度の認識しかなかったです。
小学生だとそんなもんだと思います。
| かりん | 2009/10/11 12:13 AM |

JAL123便墜落事故が起きた時、自分は高1でした。当時、テレビで坂本九さんが搭乗なさっていた飛行機が墜落したと報道されてテレビに釘づけになり、しばらく見ていると墜落現場の火災の様子が映しだされショックを受けたのを覚えています。卒業後自衛隊へ入隊したのですが、そこで実際に墜落現場へ行かれた方から、現場の凄惨さを聞く事となり、もう20年近く経ちますが、いまだにその時聞いた話しが忘れられません。ボイスレコーダーが公表されさらにそれは強まりました。…飛行機だけじゃなく車だって怖いです。普段はそういった感覚が隠れてしまってますけど、この"隠れる"というのは"なれ"が原因なんでしょうね。 "どうせ大丈夫だ"とか普段当たり前に車の運転してますけどね。 JAL123便の墜落原因は今だハッキリしてませんが、整備不良?何かがぶつかった?何か隠してる?…一番怖いのは"人間のなれの習性"の様な気がします。
| ウエポン | 2009/10/16 6:04 AM |

>ウエポンさん
高校1年だとかなりしっかり記憶に残っているでしょうね。
小学生の私ですら結構なインパクトある記憶となっています。
そして実際に現場で働いた人から直接話を聞く機会があったようで。
私は全て本やメディアからの情報しか受け取れなくて、
実際に現場にいった方から直接話を聞いたことがないのですが、
きっと直接聞く話は表では報道されないようないろいろなことが
あったのではないかと思います。
そしてウエポンさんのコメントに書いてある通りだと思います。
慣れって恐ろしいですよね。過去に車の事故を1度起こしたことがあります。
事故といっても前の車にコツンとぶつかるという程度で、けが人はおろか
前の車も私の車も無傷というものだったのですが、
その時も目の前が真っ白になりました。
しかも車を運転していた理由がちょっとコンビニまで行くという
くだらない理由だったので、一番先に思ったのは
コンビニに行くくらいで車を出すんじゃなかった!ということでした。
そういう状況になって初めて恐ろしさを実感するんですよね。
ぶつかってからでは遅いのに。
| かりん | 2009/10/16 10:47 AM |

はじめまして。今日映画「沈まぬ太陽」を見てから日航機墜落事故について知りたくなり、こちらに辿りつきました。
当時私は高校生で、川上慶子さんの救出される様子が記憶に残っているのですが、ここ何年も事故のことを忘れて生活していました。
(つい最近も飛行機に4回ほど乗りましたが恐怖感はありませんでした。が今日映画を見たら少し怖くなりました・・)
二度とこのような事故は起こしてほしくないですよね。

| sakura | 2009/10/28 7:04 PM |

>sakuraさん
沈まぬ太陽見てきたんですね。
私はまだ見ていません。原作を読んだのみです。
事故のことをここ何年も忘れるのは仕方ないと思いますよ。
なにしろこの事故からかなりの年数経ってますよね。
私もネットでふれるまでずっと忘れていました。
このような事故は二度と起きないようにとずっと思っています。
今のところは日本では大丈夫ですが、
この先も安全に運行してもらいたいですね。
| かりん | 2009/10/28 7:14 PM |

管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/01/03 8:17 PM |

管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/01/03 8:22 PM |

管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/01/03 8:24 PM |

管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/01/04 9:00 AM |

日航の「安全啓発センター」を見学してきました。
ここは123便の“事故の教訓を風化させてはならないという思いと、安全運航の重要性を再確認する場として”(安全啓発センターHPより)設立された施設です。

ここには実物の事故機の残骸が展示されています。

自分は123便の事故について色々書籍等を読んだりしましたが、
「実物を見る事で、書籍では伝わってこない事故の悲惨さを知る事が出来るのでは」と、
見学を申し込みました。

かなり省略して書かせてもらいます。

当日、センターの職員さんが案内、説明をしてくれました。
展示室に入って最初に目に入ってきたのは、事故現場と海から回収された垂直尾翼の残骸でした。
そこから「恐怖」とかの言葉だけでは表現出来ないものに襲われ続けられました。
問題の圧力隔壁とその後方の機体の残骸…
犠牲者の遺書もコピーではない実物のものも展示してありました。
他にも持ち主が分からない遺品(眼鏡・腕時計・ボールペン・鍵等)や無残に変形した座席も見ました。

見学して、
「人間の間違いをカバーする技術なんてものはない」
という事と、
「間違いをしない人間はいないが、その間違いを発見し大事に至る前に食い止める事が出来るのは人間だけ」
という思いがより強くなりました。


偶然にも見学をした日が、日航が会社更生法の適用を東京地裁に申請し、更生手続きの開始を決定された日と同じになりましたので、一緒に見学をされていた方が職員さんにこう言いました。
「日航の安全に対する意識が、『利益を上げる』という事にとらわれて薄れていくのではないかと正直不安です」と。

職員さんはこう言いました。
「会社を更生させたいのに、信用を失うような事はしませんよ」
そして、
「あの事故から学び取り、作り上げたものを捨てたりしません」と。


“生まれ変わったら、世界一安全な航空会社になっていた…”
「…ってなるといいな」
そう思いながら、センターを後にしました。
| トモアキ | 2010/01/20 11:12 PM |

>トモアキさん
安全啓発センターについては設立当初にニュースで見ました。
でも実際に見学に行った方の話は今回はじめて聞きます。
かなり省略したコメント、ということでしたが様子がすごく伝わってきました。
やはり実物を見ると全く違うのですね。
最初にそのセンターができたというニュースを見た時には
興味本位の部分もあって行ってみたいと思ったことが恥ずかしいです。
JALは現在いろいろと問題になっているし、私の中でもやはりこの事故が
あってからは選べる状況では避け続けてきました。
だけどその事故があったからこそ今の安全なJALがある、
という可能性もあるんですね。
たしかにここ最近はそんなに大きな事故もなく安全な気はしますが。
この先この会社がどうなるかわからないけど、
いくら避けているとはいってもなくなるのはちょっと寂しいような
困るようなそんな気がします。
職員さんの言葉が表面的なものだけではありませんように。
そして航空業界に携わる方が全員そういう気持ちでいてくれますように。
| かりん | 2010/01/21 1:11 AM |

墜落当日、後段休暇で隊内にいました。ニュース速報がせわしなく、くり返しくり返し放送されていました。翌日、0400に非常呼集がかかり私達はV−107で御巣高に向かいました。
ロープによりリペリング降下。
地獄地獄地獄 私は、残された遺族の気持ちが分かります。
妻、夫、子供、孫、親戚・・・を亡くされた方々。
でも、クルー達にも遺族がいます。
そんなことを全部わかっていて生存者救出を最大の目標とした御ベレーションを思い出します。  
| ラ・ユン | 2010/01/26 9:55 PM |

>ラ・ユンさん
そうですか・・・。まさに真っ只中で救出活動をされてたんですね。
実際にそこにいた方から話を聞いたのはこれが初めてだと思いますが、
伝わってくる話をきくと言葉で言い表せないほどの苦しみと聞きます。
地獄を見たことによるトラウマも残っている方も多いとか・・・。
ラ・ユンさんも大変なんて言葉じゃ片付けられない思いをしたんでしょうね。
| かりん | 2010/01/26 10:09 PM |

管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/07/25 11:54 PM |

>高森彩さん
コメントありがとうです。
高森さんが悪気があって書いた文章ではないことは、
全体のコメントを読んで理解したのですが、
あまりにもその説は刺激的すぎるのでコメントは非表示にさせて頂きました。
ご理解いただけたらと思います。
| かりん | 2010/07/26 12:22 AM |

管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/08/19 1:47 PM |

はじめまして^^
私は事故当時中学3年生でした。ショッキングで。
忘れられない大事故です。
連日ずーーーーっとTVでみたり、「私が助けに行くーっ!」なんて
言った記憶も鮮明です。

数年前から私は調子が悪く^^;
最後に登った御巣鷹の尾根は5年前でした。
何年も復活できず、色んな事と足の感覚麻痺を残し手て今ですが、2010年9月19日に御巣鷹の尾根に慰霊に
行く事が出来ました。足が悪くても心だけで登った!と言う感じ。
でも、墜落から25年も経つのにたったの3回の慰霊・・・(汗)
毎年、8月12日の同時刻に群馬の方向を向いて
手をあわせてはいるんですけど・・・なかなか。。。

まだ、御巣鷹の尾根は遺品も出てくるし、
123便の機体の分散された部分が出てきます。
歩いていて見つけたので、碑の少し上の遺品埋葬のところに置き
手をあわせてきました。


決して風化させないで行きましょう!!

| PIKO | 2010/09/27 4:27 AM |

>PIKOさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
そしてコメレスが遅くなり申し訳ありません。

当時中学3年生なら、ものすごく記憶に残っていて衝撃ですよね。
小学生の私ですらものすごく記憶に残っているのだから。
それでも私は御巣鷹は行ったことがないので、PIKOさんを尊敬です。
毎年この日は心のなかで黙祷はするけど、
慰霊に参加したことはないです。

この事故から時間が経てば経つほど当時の衝撃を知っている
人の数が少なくなってしまうのは仕方がないことです。
でも、それを知っている私たちが伝えていくことが
やはり大事なのですよね。私も風化させることだけはイヤです。
| かりん | 2010/09/28 9:48 PM |

初めまして。かなり前の記事にコメントすみません。近々飛行機に乗ることになりまして。とても苦手になったきっかけがこの事故でもあったので。こちらへ辿りつきました。

当時は11歳ぐらいで助かった女の子と、世代も似通っていたせいか、ものすごい鮮烈に残っています。従兄弟と田舎の祖母の家にいて(お盆でしたもんね)朝、帰るときに、この映像を観て・・・驚くというより、怖さが襲ってきたのを覚えています。帰りは飛行機をやめ新幹線で帰り、無言で従兄弟とうつむきながら帰ったのを覚えてます。帰ったとは、ニュースニュースニュース。その中でもNHKの淡々としつつも、事実と今放送出来ることを、幾度となく繰り返す報道に(確認したい人には大切)感銘をうけたのと、ともに、民放の、はっちゃけ興奮具合に驚いたことも覚えてます。

大人になって本を読んだりもしましたが、あのとき遺書を書いた、旦那さんは、本当に大切な人へ伝えたい気持ちが恐怖より勝ったのだなぁと、今大人になって家族をもって、改めて、家族への強い思いを感じます。

長々とすみません。こうして思い出すことが風化しないことですよね!そして、やっぱり私も乱気流経験ありで、益々飛行機がダメになっております。

| moco | 2011/11/01 11:49 PM |

事故から16年後の2001年に、こんな年賀状が遺族の元へ届いたそうです。

『今ごろ、(僕の娘に)子供が生まれているのかな?』

送り主は、坂本九その人です。


| 海鳴り | 2012/05/26 11:28 PM |

また、その日がやって来ましたね。

世間はロンドンオリンピックで沸きかえっていますが・・・・。
痛ましい事故があったことを忘れたくないものですね。




万感の思いを込めて・・・・。
| 海鳴り | 2012/08/12 12:32 AM |

後日談があります。

この事故をアメリカで知り、「もし同じ様な事故が起きて、油圧系統が破壊されたら、エンジン出力の制御だけで操縦できないか?」と研究していたパイロットがいました。

彼の名前は、機種DC-10の操縦教官をしていたデニス・E・フィッチさん。

御巣鷹山の事故から4年後の1989年7月19日、ユナイテッド航空機のエンジンが飛行中に破壊され、油圧系統が破断する事故が発生。

彼は非番の搭乗客としてこの機に乗り合わせ、機長の緊急要請で操縦席に飛び込み、かねてから考えていた自分流の非常用シミュレーション通りに操縦。

乗客数285名の内、111名の死者を出しましたが、アイオワ州スーシティのスーゲートウェイ空港へ不時着に成功して、最悪の大惨事を免れました。

悲惨な123便事故の教訓が、後の人々の命を救ったことになります。

詳しくは、『ユナイテッド航空232便』を検索、参照して下さい。


| 海鳴り | 2013/01/27 5:54 PM |


2012年5月26日コメントの舌足らずな部分を補充します。


(広島)カープ坊やの絵入りハガキに

『 2001年のお正月はいかがですか。この手紙を書いたのは花子が11才の1985年。
ひょっとしたら、花子には子供がいるかもネ。良き母として妻として、ついでに
良き娘として・・・。

広島中央郵便局 一日局長 坂本九 』



日航123便墜落事故から16年経った2001年の元旦、犠牲となった坂本九(享年43)さん
から、長女・花子さん宛に年賀状が届きました。

1985年に開催された つくば万博 での企画、21世紀へ年賀状を送る【 ポストカプセル
2001】に投函されたもの。

亡くなる4ヶ月前の1985年4月、広島で番組を持っていた縁で広島中央郵便局の一日局長
を務めた際に、書かれたハガキでした。







| 海鳴り | 2014/08/14 1:10 PM |


記載されています参考文献 以外の、藤田日出男著「隠された証言」(新潮社刊 2003)と
鶴岡憲一著「悲劇の真相」(副題:日航ジャンボ機事故調査の677日)(読売新聞社刊1991)を
読んでいます。

前者によると、事故調は急減圧のなかった事実を知っていたようです。

2000年11月、運輸省は翌年に控えた情報公開法の施行に備えて、多くの古い資料を焼却・断裁などをして廃棄処分しました。

事故調査は基本的に終わりがありません。新しい事実が出てくれば、すぐに調査を再開しなければなりません。日本も加盟している国際民間航空条約機構(ICAO)の付属書に、「新しい重要な事実が判明したときには、調査を再開しなければならない義務がある」と定められています。

従って、決して事故調査の資料を廃棄してはならない筈ですが、厚本の焼却処分は強行されました。

しかし、事故調に席を置いたことのある役人にも、事故の検証が充分に出来なくなる危惧をもつ良心を持った者がいて、それらのコピーが著者の元へ匿名で送られてきた、ということです。

著者は、事故原因として仮説「フラッター説」を推定しており、また告発者による新事実が出てきたことにより、日本政府と国土交通省に速やかで大規模な再調査の再開と「内部告発者保護法」の成立を望んでいます。


※ 簡潔なその問題提起は、日本航空が2011年にウェブUPしています。

検索キーワードは、 JL123便(JA8119)事故調査報告書の問題点 です。

副題として、生存者証言と実験によって否定された虚構の報告書















| 海鳴り | 2014/09/22 6:35 PM |

永久に 空の安全を 祈ります
| 連絡清野幹文化遺産 | 2014/12/10 10:57 PM |


今日8/12の午後7:00〜9:55 TBSテレビ系列で

特番ドラマ【8.12日航ジャンボ機墜落事故 30年の真相】が放映されます。

果たして、新事実が出て来ますでしょうか ?

| 海鳴り | 2015/08/12 9:03 AM |


8月12日午後19時〜のTBS系列局HBCは、野球中継だったので「日航ジャンボ機墜落事故
30年の真相」は放映されなかったと、後に知りました。

その後、日時を代えて放映されたでしょうか ?

もし、まだでしたら、次の方法でも 無料で観るが出来ます。

FC2動画アプリを検索 → 新規登録 → ドラマタイトル検索

| 海鳴り | 2015/08/14 9:18 PM |


「日航機墜落事故から30年。その教訓とは ?」
"TBSラジオ 荻上チキ Session22 (8月11日)" を聴取してみてください。


スタジオ出演:
神保哲夫さん(ジャーナリスト)
西村匡史さん(TBS記者)
美谷島邦子さん(遺族会「8.12連絡会」事務局長)

| 海鳴り | 2015/08/18 9:39 PM |


◯ YouTubeに挙がっている最新の日航123便墜落事故関連を、時系列順に列挙してみます。


8月1日 NHKスペシャル 日航ジャンボ機事故 空白の16時間

8月9日 ザ・ノンフィクション 今だから話せる妻の本音 〜日航機墜落事故から30年

8月11日 「日航機墜落30年」空白の16時間
、驚愕の真実 ! 現在も解明出来ない原因 ! (音声のみ)

8月12日 問い続けた30年 日航機墜落事故の遺児たち

8月12日 8・12 日航ジャンボ機墜落事故 30年の真相 2015年8月12日 FULL HD


◯ 書籍

「天空の星たちへ 〜 日航123便 あの日の記憶」
青山透子 著 マガジンランド 発行 2010年

* 1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクションです。

なお、同タイトルの公式ブログがあり、検索できます。


| 海鳴り | 2015/08/22 10:10 AM |

全くの部外者がアクセス目的なのかなんなのか、こんな風にブログ記事にする気持ちが分かりません。
自分が遺族の立場でこんな風に記事にされてるのを見たらイヤじゃありませんか?
もっと想像力を働かせて下さい。
| 通りすがり | 2016/01/30 3:29 PM |

レスできません。コメレスなしで
OKな方だけコメントどうぞ。
(2014/7/22〜)









   
コメント本文にURLは入力できない設定になっています。
※ブログやHPをお持ちの方はURL欄に入力して下さい。
コメントの投稿がうまくできない方はコチラ
 
http://love.mania.daa.jp/?eid=237933
TB大歓迎ですが、関連性のない記事及びTBを返せないブログ様のTBはご遠慮ください。
TB送信元にこちらのURLがない記事からのTBは現在受け付けておりません┏○ペコリ
http://love.mania.daa.jp/trackback/237933


<日航機墜落事故>残存機体、将来的に廃棄する方針示す
Yahoo!ニュース(毎日新聞)より <日航機墜落事故>残存機体、将来的に廃棄す
| ☆組ウォッチャーとAMC活用日記・・・アーカイブ | 2005/08/11 2:41 PM |
日航ジャンボ機墜落事故
1985年8月の日航ジャンボ機墜落事故から、12日で20年の節目を迎える。当時、私は社会人1年生で眠気まなこの中、ニュースを聞いて心配しながら、出社した覚えがあります。その後の情報で520名の方が亡くなられたと聞き、悲しい思いを抱いた事と、奇跡的に助かった4名が
| 管理人のひとり言(ブログ) - aznableさんのブログ - みんなが作る!コミュニティサイト! | 2005/08/12 1:36 AM |
日航機123便墜落事故
また今年もきました。 この日が。 8月12日。 当時起こってはならないことが起きてしまったようで、情報も錯綜し、実態を把握するために必要だった時間がどれほど必要だったか。 記憶は薄れ、数人の生還者がおられたこと程度しか覚えていません。 写真週刊誌が興味
| クルマ@マジレス系Blog | 2005/08/12 6:34 AM |
日航機事故と元阪神球団社長の話
  たまにはしんみりした話なぞ。カテゴリーは野球だが。ちと長いよ。 マスコミで取り上げられているように、今年の8月12日で日航機墜落事故から20年になる。事故があった年、1985年といえばこの惨事が大きなニュースだったが、明るい話題もあった。それは阪神タイ
| こちら某中堅企業企画室 | 2005/08/12 9:43 AM |
20年
 あの事故から今日で20年経ちましたね。 単独の航空機の事故としては史上最悪の惨事となった「日航機墜落事故」。 当時俺は11歳、大変な事故が起きた・・・位にしか認識していませんでした。 しかし航空ファンになった現在、当時の記録等をWebで調べていくうちに、最
| Hiroyukiの「徒然なるままに」(日暮らし、硯にむかひて・・・) | 2005/08/12 1:17 PM |
日航機,御巣鷹の尾根墜落から20年たったが,会社まで墜落か?
日航機の墜落事故から,ちょうど20年がたちます。今日(11日)も灯籠流しが行われ,改めて犠牲者に対する供養が行われました。 あんな事故はもうごめんです。 20年前のことは,私は今でもはっきり覚えています。突然のニュース速報,「日航機消息不明」。そ
| あれは,あれで良いのかな? | 2005/08/12 8:24 PM |
日航機墜落事故から20年
今日は日航機事故から丁度20年目ということで、TV各局で追悼番組が流れていた。
| 道楽者の徒然日記 | 2005/08/12 9:55 PM |
今のあなたに茜雲は見えてますか
20年前のきょう8月12日。 羽田発大阪行の日本航空123便が 群馬県上野村に墜落した事故。 520人の命が奪われた事故は大きな衝撃でした。 当時私は中学2年生。 同じ日に誕生日を迎えた わたしの二つ下の弟を家族みんなでお祝いをしていました。 テレ
| 新「とっつあん通信」 | 2005/08/12 10:20 PM |
日航機墜落事故から20年
520人が犠牲となった、昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故から、今日で丸20年を迎えました。 20年前の今日、群馬県上野村の”御巣鷹の尾根”で、あの痛ましい事故が起こったのです。 夕方からふもとの「慰霊の園」で追悼慰霊式と、ろうそく供養が行われるそうです。
| GIZAファンのためのページ。 | 2005/08/12 11:02 PM |
御巣鷹の尾根は・・・
冷たい雨が降っています。。。 日航機墜落事故から20年。今日追悼登山される方は多いのに、天気が悪くて生憎です。。。 あの日、あの時間のことは今でも鮮明に覚えています。その日は夜遅くまでTVに釘付けでした。 当時は県内の警察やら消防やら自衛隊の駐屯地
| くぅ〜のつぶやき | 2005/08/13 12:24 AM |
20年前
20年前の今日、日航ジャンボの事故が起きた。そして自分は父の転勤で、同じ日に羽田から広島へと向かった。 当時1歳と少しの自分の中にその時の記憶はないけれど、以前に、事故と同じ日にということを知った時に、 「同じ時間帯に羽田にいたんだから、どこかでその人
| 書きたい時に書くと思う | 2005/08/13 12:36 AM |
今日は、「日航ジャンボ機 墜落から20年」の日
<日航機墜落20年>多くの遺族らが慰霊登山 群馬・上野村のニュース記事からTBしました。 さっきたまたま付けたTVで<<ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実(TBS)>>っていうドキュメンタリーが18:25〜22:55までや
| @日々+びば+感想!!!*”栗コロネ” = マウス絵描き... | 2005/08/13 12:37 AM |
ダイヤモンドは砕けない - 日航機墜落事故から20年
茜雲―総集編 さようなら 子供達の事をよろしくたのむ - 河口博次さんの遺書より 1985年8月12日。 群馬県御巣鷹山へと墜落した日航123便(JA8119)...
| 賢者の贈り物 | 2005/08/13 12:59 AM |
123
 お盆休みですね。朝も早よから、大きい荷物を持って浜松町で降りる人たちがたくさん...
| Chokopy's room | 2005/08/13 1:34 AM |
日航機が再び墜落する日
日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落して、520人の人命が奪われてから20年経った。 事故の再発防止に一番力を入れているはずの日本航空で事故が相次いでいる。それも、8月12日にあわせるように。 8月10日タイ・バンコク空港を離陸、上昇中だった関西空港行き日本航空7
| ◆木偶の妄言◆ | 2005/08/13 1:59 AM |
福岡初ホノルル行きの日航機が離陸直後にエンジントラブル【JAL】
12日午後7時45分ごろ、福岡空港を離陸したホノルル行きJALウェイズ58便(D...
| Takbose Blog | 2005/08/13 3:47 AM |
日航機墜落事故
僕は、周りの知人・友人からクールな人間だと思われている。 実際に、そうだと思う。出来るだけ物事を客観的に判断したいと思っているし、感極まって涙が止まらないということも、ここ数年なかった。 でも、昨日ウィキペディアの日本航空123墜落事故のページからの
| 名盤! | 2005/08/13 5:30 AM |
<JAL系機>飛行中エンジンから出火、福岡空港に緊急着陸
 よりにもよって、8月12日に。 **** 12日午後7時46分ごろ、福岡空港を
| 街道をウロつく | 2005/08/13 7:53 AM |
20年目の節目にあわやの大惨事
日航機御巣高山墜落から20年、TBSの特別番組の「ボイスレコーダー」を観た後で、今回の事故を知った。 よりによって命日のこの日に日航機がエンジントラブル。乗客は生きた心地はしなかっただろう。 事故を起こしたのは、午後7時45分、福岡発ホノルル行きのJALウ
| かきなぐりプレス | 2005/08/13 8:01 AM |
御巣鷹山慰霊登山
御巣鷹山慰霊登山のレポートをしてみます。 遺族でない自分が行くのは申し訳ないとい...
| SHIGEKAZU "OSHARE" Blog | 2005/08/13 1:39 PM |
20年目の節目にあわやの大惨事
日航機御巣高山墜落から20年、TBSの特別番組の「ボイスレコーダー」を観た後で、今回の事故を知った。 よりによって命日のこの日に日航機がエンジントラブル。乗客は生きた心地はしなかっただろう。 事故を起こしたのは、午後7時45分、福岡発ホノルル行きのJALウ
| かきなぐりプレス | 2005/08/13 6:13 PM |
JAL、飛行中にエンジンから出火
【<JAL系機>飛行中エンジンから出火、福岡空港に緊急着陸】 よりによって日航機墜落事故から20年目のこの日にか・・・。 テレビで映像を見たけど、さすがにあれは笑えないな。 でもその飛行機が無事で良かった。 人の命を乗せているんだから、こういう事故
| 渡り鳥のひとりごと... | 2005/08/14 12:50 AM |
御巣鷹山墜落事故から20年、JALでまた事故が・・・
1985年8月12日に日本航空のジャンボ123便が御巣鷹山に墜落するという大惨事が発生してから20年。月日が経過した現在でも、テレビではニュースになったり特番が組まれたり、新聞で事故を振り返る記事が掲載されるなど、忘れられてはならない事件として、この事故の恐ろし
| Y's WebSite : Blog 〜日々是好日〜 | 2005/08/14 1:06 AM |
日航機墜落事故から20年
 昨日日航機墜落事故から20年を経過しました。テレビでは特番を組んで日航機墜落事
| ぶっちゃけしんどい | 2005/08/14 1:07 PM |
<JAL機>飛行中にエンジンから出火、分空港に緊急着陸
 12日午後7時45分ごろ、分空港を離陸したホノルル行きJALウェイズ58便(DC10、乗員・乗客232人)が分市東区の上空を飛行中、左主翼下の第1エンジンから出火した。同機は分空港へ引き返し、午後8時20分に緊急着陸した。航路下側の東区内では、同機
| 〜猫と大麦とゲームと紅茶〜本館 | 2005/08/14 1:09 PM |
日航機墜落事故から20年についての記事の続き
前出の記事について続きの記事を作製したいと思いまして、もう一度パソコンに向かわせ
| ぶっちゃけしんどい | 2005/08/15 1:24 AM |
日航機墜落事故
今日は少し真面目なお話 最近よく聞く『日航機墜落事故』あまりよく知らんかったので、なんとな〜く色んなページをたどってましたら墜落の瞬間までの操縦席の会話が録音されたボイスレコーダーの音声が・・・ とりあえず聞いてみようと思い再生・・・ 聞き終わったあ
| 『LIKE TOY SOLDIERS』 | 2005/08/18 1:16 AM |
日航機墜落までの軌跡――見たことが無い方は是非見てみて欲しい
趣味のWebデザイン:保存しにくい FLASH 作品について と かりんのひとりごと | JAL123便日航ジャンボ機墜落事故 で、「日航機墜落までの軌跡」とい...
| 吉田耕介の熱風ちゃんねる | 2005/08/19 1:01 AM |
【JAL123便】
20年前の 8月12日尊い520人の命が奪われた日です。以下のリンクは、事故発表した内容を元に管制官とパイロットたちの交信記録をFLASH化したものです。キャプテンとコパイの壮絶な緊急時の対処をしている会話が読み取れます。忠実に再現されていますので閲覧にはご注意
| 【黒猫の分室】 | 2005/08/20 9:54 PM |
墜落の夏 -日航123便事故全記録-
「墜落の夏 -日航123便事故全記録-」 吉岡忍 新潮文庫 書評(私見): ( :5個が満点) きわめて中立の立場で事故が語られているな・・・と感じました。 客観的事実に基づきつつも、著者の哲学的なコメントが随所に出てくるため、 人間味が感じられて非常に読み
| CALS's Library | 2005/08/21 9:16 PM |
御巣鷹の尾根
録画してた ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実」 (TBS)を見た。 涙が次から次へと溢れてきて止まらなかった。 当時2歳、JAL123便日航ジャンボ機墜落事故を覚えてはいない。 ただ、母の「あれは忘れられへん」という
| open skies | 2005/08/23 1:21 PM |
今日は、「日航ジャンボ機 墜落から20年」の日
<<<日航機墜落20年>多くの遺族らが慰霊登山 群馬・上野村>のニュース記事からTBしました。 さっきたまたま付けたTVで<<ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実(TBS)>>っていう ドキュメンタリーが18:25〜22:5
| @日々+びば+感想!!!*”栗コロネ” = 総評・完! = | 2005/08/26 12:36 AM |
日航機墜落事故 (1)
また今日もJALにトラブル発生。 なんたる体たらくでしょう。これで3日連続ですよ。 日航関係者は、あの事故のことを忘れてしまったのでしょうか。 「日航ジャンボ機墜落から今年で20年」 8月12日、各メディア
| Noo・シネマ・パラダイス | 2005/09/02 4:30 AM |
墜落の夏 -日航123便事故全記録-
「墜落の夏 -日航123便事故全記録-」 吉岡忍 新潮文庫書評(私見):( :5個が満点)きわめて中立の立場で事故が語られているな・・・と感じました。客観的事実に基づきつつも、著者の哲学的なコメントが随所に出てくるため、人間味が感じられて非常に読みやすい一冊だ
| CALS's Library | 2005/09/16 5:06 PM |
372:8.12特番
今回は、20年前の8月12日に起きた日航機墜落事故特番2本についてである。まずTBS「ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実」。(金曜18時25分)だ。 事故調査委員会が発表した事故原因に納得せず、個人的に原因追及を行ってきた、元日
| 日刊?テレビマニアのふがふが日記 | 2005/10/01 7:37 AM |
墜落の夏―日航123便事故全記録
『墜落の夏―日航123便事故全記録』(吉岡忍,新潮文庫)  今しがた読み終わった本の感想を書く。1985年に起きた日航機墜落事故を描いたノンフィクションである。世に出たのが翌年の1986年夏であるから、その後の調査で多少、事実と食い違う点も少々あるらしいが、こ
| 黄昏の屋上 | 2006/03/12 10:11 PM |
余談-日航123便墜落事故-
訪タイにあたり、僕にはどうしてもしなければならない事がありました。21年前に起きた日航123便墜落事故について再びよく調べる事。この日航ジャンボ機墜落事故は、僕にとって特別な意味を持っています。当時、僕は小学4年生。夏休みを利用して母の実家に帰省していまし
| ヒーラー:ハルキの激珍日記♪ | 2006/07/14 12:05 PM |
ブログ内検索
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< April 2017 >>

ケータイ用QRコード
一番右上のカレンダーの日付部分またはカテゴリーからもこれ以前の記事に移動デキマス。
今までの記事一覧では、タイトル一覧がランキング形式で見られます





with Ajax Amazon